July 05, 2008
早速、新音源を用いて曲を作ってみました。どんなすごいもんだろう、とあまり期待されると困るのだけど、今回はその曲の紹介をしましょう。
曲は、ここのところ作曲していなかった「仮想楽器のためのアンサンブル」を、久しぶりに作曲。
編成はいつも通りの5声の仮想楽器、形式もまたまた変奏曲です。今回のポイントは、いくつかポピュラー風のリズムを用いて変奏しているというところ。クラシックっぽい雰囲気とは離れますが、より聞きやすい音楽になっていると思います。
最初にしっかり考え設計した上で書き始めていたこれまでの書き方に比べると、今回はかなり行き当たりばったりで作り上げた感じ。作曲の取り組み方自体にも、いろいろバリエーションがあっても良いと思い、あえてそんな感じでやってみました。
そして一月ほど前に作ったその曲を、早速先日入手した新音源で作ってみました。
今回は木管のアンサンブル。フルート、イングリッシュホルン、クラリネット、バスクラリネット、バスーンの5声です。
もともと、YouTubeはモノラルになってしまうので、音そのものは決して良くはないですが、それでも少しはリアルな音色になったのがわかるでしょうか。今回はエフェクトもかけず、HSOの素の音のままで作ってます。
ただ、この音源、特定のノート、ベロシティでノイズが載るときがありますね(例えば2分27秒付近のフルート)。今回はそのまま録音してしまいましたが、元々そういう品質だとすると、ちょっと残念な感じ。
もちろん、まだまだ私のDTM技術が足りないのか、バランスや表情付けもちょっといまひとつの部分もありますので、今後ともいろいろ研究してみるつもりです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
June 28, 2008
曲を書けば、なんとか演奏して欲しいもの。
合唱はまだしも、器楽となると生演奏の機会はそうそうありません。その昔からDTMみたいなことは好きでやっていたんですが、最近もうちょっと力を入れて音楽制作みたいなことをやってみたくなりました。つまり、生演奏されないなら自分でPC上で作ってしまえ、というわけです。
そんなわけで、オーケストラを買いました。もちろん本物でなくて、PC上で鳴らせるサンプリング音源です。
最近かなりリアルなオーケストラのサンプリング音源が出ています。候補で考えていたのは Vienna Symphonic Library の Standard Edition(VSE) と、Halion Symphonic Orchestra(HSO) 。
VSLは超ハイスペック、プロ御用達の音源で、VSEはその抜粋版のようなもの。最初はかなりVSEに傾きかけていたのだけど、さすがに職業音楽家でもないのにこれだけのクオリティは必要なさそうだし(全部揃えるとすごい値段!)、ストレス無しに鳴らすにはPCのスペック的にも厳しそう。
結局、オーケストラ音源としては比較的マイナーなHSOを購入しました。(一般的には、ガーリタン とか、QLSO と呼ばれているのが売れ線みたい)
HSOにしたのは、ホストアプリがCubaseなので同じ会社で相性も良いだろうし、操作性も見た感じ良さそうに思えたからです。もっとも、今持っている昔のDTM音源から比べたらどれを買ってもリアルさは雲泥の差ですけど。
まだ、十分触ってないけど、やっぱりリアルですね。アンサンブルになれば、これは相当雰囲気が出て来そう。いろいろ触っていたらオーケストラの曲でも書いてみようか、という気分になってきました。
楽器単体では、そばで鳴っているような臨場感というより、きれいに整頓された音色って感じで、一般性の高い作りになっているような気がしました。
打ち込みでの実際の表現付けのところでは、真面目にやればそれなりに苦労しそうですが、人に聞かせるには十分なクオリティがあると思います。(昔のDTM音源だと、「音が変」とかすぐ突っ込まれたし)
ただ、音色や奏法の種類の把握、コントロールの仕方、セッティングしたデータの管理方法など、使いこなすにはもう少し時間がかかりそう。ある程度把握できたら、室内楽っぽい編成からトライしてみる予定です。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
May 16, 2008
J-POP関連の話題の発展ということで。
ポップスの合唱編曲ステージというと、どうも芸術的に一段低いものと感じがちです。やっているほうがそう思っている限り、残念ながら演奏もそういうものになってしまいます。
そもそも、なぜ他ジャンルの音楽を違う編成に編曲することが広く行われているのでしょう。ざっくり言って次の二つの理由があると思います。
1.お客が知っている曲があると楽しいと感じるから
2.耳慣れた曲が、新しい編曲で演奏されることに新鮮さを感じるから
上記より編曲は本来、一粒で二度おいしい演奏効果を持っています。
合唱で言えば、純粋な合唱曲は普通の人にとって一般的ではないけれど、流行歌なら知っている人も多いでしょう。そういった曲を合唱独自の編曲で聴かせることは、演奏会をより楽しんでもらうために重要な方法の一つだと思います。
だからこそ、編曲そのもののクリエイティヴィティが問われるわけですが、残念ながら出版されている編曲の楽譜は、なるべく多くの人に歌ってもらうために(あるいは、商業的に楽譜をたくさん売るために)あまり編曲に個性を発揮したものは多くはありません。
既成の編曲楽譜を用いるために、編曲の面白さがあまり無くなってしまい、しかもそれがピアノ伴奏付きだったりすると、合唱の演奏自体が単なる集団カラオケ状態にしかならなくなってしまいます。
そういう意味では、オリジナルの合唱曲を演奏するより、ポップスの編曲ステージをやるほうがはるかにその団の芸術センスを問われます。しかし、本来そういう覚悟を持って編曲ステージを作るべきだと思うのです。もちろん、団内で編曲が出来るのなら、それが一番良い方法でしょう。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
April 26, 2008
1曲だけだとちょっと寂しいので、もう1曲アップです。今回は「第五番」です。
ところで、この「仮想楽器のためのアンサンブル」という楽曲、タイトルだけだと何を意図しているか、分かりづらいかもしれません。この試みについて詳しく知りたい方はこちら 、あるいはこちら をどうぞ。
今度の画像、周りの大きな黒枠が無くなりました。
iMovieで YouTube にアップする設定で、「公開するサイズ」を前回は「モバイル」だったのですが、今回は「中」に変えてみたのです。なるほど、そういうことなのね、とアップして分かりました。単純に表示範囲が広がるわけですね。
しかし、そうなると逆に気になるのが、左右両端の細い黒い部分。画像を作るときにきっちり4:3じゃなくてちょっと縦長だったみたい。作り直すのも面倒なので、次回からはピクセル単位で4:3にすることにしよう・・・
もう一つ、肝心の音楽なのだけど・・・
今回は実は木管の音でアップしたかったんですが、HALione One の音がかなりショボくて、断念。結局、前回と同じ弦楽器に。
この弦楽器版でも、最低音パートのコントラバスが正直、不満です。聞いた方は納得していただけると思いますが、メロディになると変化の乏しい一様な音がかなり耳につきます。
実際手で弾いて見ると、一番下からC3まで同一サンプルで引き伸ばされていて、C3からの音色の変化がほとんど別楽器という感じ。これ、売り物の楽器じゃあり得ないんですが・・・。まあ、バンドル品なので仕方ないけど。もうちょっとしっかりしたサンプリング音源が欲しいです~。
というわけで、今回のアップ作品を下に貼っておきます。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
April 18, 2008
iMacを駆使して、「五つの母音の冒険」に続き、またまたYouTubeに自作品をアップしてみました。
今回は、4年ほど前に作曲した「仮想楽器のためのアンサンブル第7番」という作品。打ち込みで作った音楽に、楽譜の映像を付けて、動画として作ってみました。
以下、このデータを、どんな流れで作ったのか概略を記しておきます。
<音楽の作り方>
1.Sibelius(浄書ソフト)で作ったデータからMIDIファイルを出力。
2.MIDIファイルをCubase(DAWソフト)で読み込む。
3.CubaseにバンドルされているHALion Oneの弦楽器の音を鳴らして、MIDIを編集。
4.エフェクト、EQ等をかけて、MP3ファイルに書き出す。
<楽譜の映像の作り方>
1.Sibeliusで作った楽譜データをPDFファイルで出力。
2.Photoshop Element でPDFを読み込む。
3.楽譜の画像を一段毎に切り分け、画像サイズを調整してJPEGでセーブ。
4.作ったJPEGの画像ファイルをiMacのiPhotoに取り込む。
<動画の作り方>
1.iMovieに、MP3のサウンドデータと、iPhoto内のJPEGデータを取り込む。
2.iMovieで、各映像データの表示時間を調整。
3.iMovieで、映像切り替えエフェクトや、タイトルの文字を追加。
4.iMovieのYouTubeアップ機能を使って、そのままアップ。
残念ながらこの大きさでは、さすがに楽譜をきれいに表示させるのは難しいようです。あと、YouTubeって、音は全部モノラルになるんですね。今まで全然気が付かなかった・・・
| Permalink
|
| TrackBack (0)
March 29, 2008
MacにCubase4をインストールしました。
24inchモニタで楽譜を書くのも便利になったけど、DAWもすごーく便利になることを実感。各トラックの表示や、ミキサー画面だけでなく、ソフト音源やエフェクトの設定など、いろいろなWindowをいっぺんに見れるのって素晴らしい。
何度も書いているけれど、いまどきの音楽ってほとんどパソコン上で作れるくらいになっているし、実際プロの音楽制作の現場でもほとんどの作業をパソコンでやっています。
以前は、PCでプリプロレベルの制作をして、スタジオで録音する、という流れだったのが、いまやどうしても生で録りたいもの以外はスタジオに入る前に全部出来ちゃっていたりするようです。
おかげで、音楽の制作費は相当安くなっているのですが、それ以上にCDが売れないし、そうなると音楽スタジオなんて日本から消えてしまいそうです。
もちろん、将来はもっともっと便利になるはず。
楽器のサンプルが安く出回るようになったり、楽器独自の奏法までパソコンでシミュレーション出来るようになれば、実際に演奏家がいなくてもほとんど実演と区別が付かないほどのクオリティのものが製作可能となるでしょう。
そして最後の砦はもちろんボーカルなのですが・・・、これも、今話題の「初音ミク」のようなボーカルシミュレーション音源が発達すれば、もっとリアルになってくるに違いありません。
となると、楽譜を書いて、シミュレーション音源を鳴らして、それにエフェクトをかけてミキシングをして、最後にマスタリングまでして、といった一連の流れが全てPC上で完結してしまいます。
エレクトロニクス系はもちろんのこと、ポップス系音楽だけでなく、オーケストラ系音楽だってもちろん可能。
そんな未来に人々に聴かれる音楽というのはいったいどういう姿になっているでしょうか?
| Permalink
|
| TrackBack (0)
March 20, 2008
新PC、新バージョン導入の幾多のトラブルを乗り越えつつ、何とか使えるようになりつつあります。
これまで、音を鳴らすのに大昔に買った外部MIDI音源を使っていたのですが、せっかくSibelius5で立派な音が付いてきたので、ぼちぼちソフト音源中心にしてみようかと考え、今のところMIDI音源はMacに接続していません。
ただ、私みたいに下手にMIDI知識があると(いや自慢でなくて、仕事上覚えざるを得ない)、Sibeliusが一生懸命面倒なMIDI設定を隠そうとしているのが非常にじれったいのです。
このソフト、譜面を書く人の気持ちにとてもこだわっているのが伝わり、その姿勢には大いに共感するのだけど、そのためほっとくとどこまでも自分で最適な状況を作ろうとして、私からすると裏で何やってるかわからない、という難しい動きをします。
例えば、Sibeliusでは、MIDIが16チャンネルあるとか、音を変えるには各チャンネルにプログラムチェンジを送るとか、そういうことを全く表に見せません。楽譜上にバイオリンのパートがあれば、(勝手に)バイオリンを鳴らす、ただそれだけ。
なので、MIDIレベルで再生を制御したいと思うと、なかなかもどかしい思いを感じることになります。
もちろん、音符を書きたい人がMIDIのことなんて知りたくもない、というのは確か。
しかし、世の中の音楽のほとんどがDAW上で作られている昨今、こういったプロ用の浄書ソフトもいずれDAWと接近せざるを得ないでしょう。であれば、もう少しスマートなMIDI機能との結合の仕方もあるような気がします。
(そういえば、DAWソフトのCubaseには、逆におまけの浄書機能があるわけですが)
SibeliusもAvid陣営に入ってしまったので、DigiDesignのProToolsとかと連携を取るようになってしまうのでしょうか。Cubaseを使っている私としては、ヤマハがSibeliusを手放したのが残念な気持ちなのですが・・・(最後は業界ネタになってしまった)
| Permalink
|
| TrackBack (0)
March 08, 2008
大学の頃から、シーケンサとシンセサイザを使って音楽を作っていた私は、当然のごとくDTMの黎明期からパソコンを使った音楽制作をしていました。もちろん就職後は、仕事柄ということもあります。
パソコンを使った音楽制作、というのは、MIDIシーケンサで音源を鳴らしたり、楽器や歌を録音したりして、最後に全体を録音して音源を作ることを言うわけですが、クラシック系の場合、最終出力は楽譜なので、楽譜が最良に作れる環境が最も大事。そういう意味では、若干世で言うところの音楽制作(DTM)とはちょっと違います。
それでも、MIDIシーケンサで音を確かめながら作曲をする、ということは私の場合あまりに普通のことです。
音楽制作の経験の無い方はパソコンで音楽を作る、ということ自体、とてつもなく敷居の高い行為なのでしょうが、それによって得られる恩恵はあまりに大きいです。
例えば、4小節分音符を書いたところで、それをシーケンサに打ち込んで何度も聞いていくと、理屈ではおかしくなくても、いま一つ居心地の悪い響きがあったりすれば、すぐ直してまた聞き直すができます。逆に、こんな音の重ね方をしても、思ったとおりに聞こえるかとか、場合によっては、かなり和音的に崩しても変に聞こえないかとか、すぐに聞けるからこそちょっと試してみたくなります。
そういう経験の積み重ねが、長い目で見れば引き出しの多さに繋がるわけで、作曲の習熟に大いに役立つのではと私は思います。
ちなみに、現在私が使っているSibelius という浄書ソフトは、楽譜を打ち込むと、それなりにMIDIを再生してくれてこれがまた便利。浄書ソフトは昔からそういう機能は持っていたけれど、近年は使い勝手もかなり向上しています。
ちなみに今度出るSibelius5では、標準で高品質の楽器音を内蔵していて、浄書ソフトだけで音楽制作用ソフト(DAW)に近い音が出るようになります。
そんなわけで、コンピュータ浄書ソフトはいまや私の最も重要なアイテムの一つとなっています。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
February 29, 2008
一昨年、朝日作曲賞を受賞しました「五つの母音の冒険」ですが、この度出版されることとなりました。
先日も、初演の様子を YouTube にアップ しましたし、こうやって少しずつ露出を増やしていって、興味を持ってくれる方が増えることを期待しております。
出版元はケリーミュージック。装丁はかなりシンプルなもので、一般的な合唱楽譜に比べるとかなり見た目は劣りますが、その分、お安くなっています。税抜きで1000円。なお、販売は今のところパナムジカ さんのみとなっています。
まあ、率直に言って、ヴォカリーズ作品を喜んで取り上げるような団体というのは、なかなか無いとは思います。しかし、だからこそ個性的というか、エキセントリックというか、そういうことを是としている団体が取り上げるには、面白いレパートリーになるのではと思います。
全国の、我こそは個性派合唱団、と思う団体の方、まずは楽譜を眺めてみてください。そして、色々な演出を想像してみてください。何か面白いアイデアが思い浮かんだようなら、後はもう演奏するだけです!
| Permalink
|
| TrackBack (0)
February 26, 2008
PD合唱曲シリーズ に曲を追加。
「この月は君来まさむと」という曲です。今回もテキストは万葉集。詠み人知らずですが、いわゆる防人(さきもり)の歌です。
「あなたが帰ってくるのを待っていたのに、死んでしまったと告げられた。激しく嘆き悲しみ、そして死にたいと思って彷徨うけれど、まだ一人であなたを思って泣いている・・・」といった内容。
叙情性と、激しい表現の両方の側面を持っていて、全体的にはちょっと重い感じかもしれません。
ただし、今回は完全にディビジョンを無くしたので、少人数でも取り上げやすいと思います。古典とはいえ、古臭い雰囲気ではなくて、コンテンポラリーな感じにしてみたつもりですが、いかがでしょうか。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
February 23, 2008
作曲技術には、二つの側面があるように思います。
「音符を配置する」技術と、「音響を作る」技術です。今の時代、両方とも作曲家が取り扱うべき仕事でもあるのですが、やはり作曲家によって、音符寄りの人と、音響寄りの人、など方向性の違いはあるような気がします。
音符を配置する技術は、例えば和声学のような学問が扱うことですが、リズム的な時間軸の要素もあります。アウトプットはあくまで楽譜であり、それ以上のことには無関心です。こういった技術の究極は、楽器を限定しなくても音楽として成り立つことであり、例えばバッハの「フーガの技法」といった作品などが、その究極の形として挙げられるかもしれません。
音響を作る技術は、例えば管弦楽法で代表されるような技術です。音そのものを重要視するので、楽譜だけでなく、楽器や奏法の指定、演奏する環境、そして録音に至るまで、幅広いことがらが検討すべき内容に入ってきます。
ところが、この音響の世界に入り込むと、自由に音が作れるシンセサイザーとか、複数の音を混ぜ合わせるミキサーとか、音響調整をするためのイコライザー、コンプレッサーとか、そういう技術的(機材的)な要素が最近では増えてきていて、今の時代、作曲家が扱うべき知識の世界が益々広がっていっています。
現代音楽系作曲家でも、音響指向の作曲家も多いです。
先日聴いた西村朗氏など、かなり音響系の作品だと感じました。それも電気技術を使わずに、ヘンテコな打楽器の使い方で変わった音を出すという、アナログちっくな音響系。
正直言って、聴衆の立場から言えば、作曲家が考えた音を直接聞かせられるという意味で、音響系の人が評価され易い傾向があるように思います。演奏効果も当然高いでしょうから。
ただ、今の時代、オーケストラ音楽だって打ち込みで出来るのですから、録音前提ならもはや音響系は何でもアリだし、その中でクリエイティヴであり続けるのはかなり大変なことかもしれませんね。
私自身は、どちらかというと音符系の作曲家のほうが好きかもしれません。バッハとかラヴェルとか、日本人なら三善晃あたりが音符系でしょうか。いや異論はありそうですけど。
もちろん、音響系の曲を書きたくないわけじゃありません。去年の課題曲の"U"なんて、思い切り音響系だし。でも、心のどこかで本当の音ではなくて、音符だけの力で音楽を制御し続けたいという、作曲家の本性のようなものがうずいていたりします。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
January 13, 2008
PD合唱曲シリーズ に初の女声合唱曲をアップ。
万葉集の二つの短歌に曲をつけたもので、タイトルは「但馬皇女の恋歌」としました。言うまでもなく、テキストは但馬皇女(たじまのひめみこ)という人が書いた恋の短歌です。楽譜はこちら 。
楽譜はパッと見、かなりシンプルに感じると思います。そもそも、このシリーズは平易な曲をたくさん作りたいという想いから始めているので、そういう意味ではその目的に合ったものです。
ただ、基本的な音価が二分音符ベースなのは、ちょっと一般的でないかもしれません。四分音符で書いても良かったのだけど、ビートのゆるい感じとか、あるいはちょっと古っぽい雰囲気(ルネサンスみたいな)を出すために二分音符で表現してみました。
シンプルですが、アゴーギグのいじりようもあると思うので、それなりに曲作りを楽しめると思います。テキストは、ちょっと調べると分かりますが、かなり激しい(というか禁断の)恋を歌ったもので、どちらかというと大人向きかも。
女声合唱団がアカペラに挑戦するきっかけになるような曲になれば嬉しいです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
January 09, 2008
先日、ヴォア・ヴェールの演奏会で初演した「五つの母音の冒険」の動画を、何と YouTube にアップしてしまいました。
初演したとはいえ、なかなか多くの人が聴ける機会は無さそうなので、ネットを通じての広報活動です。もちろん、曲を気に入ってもらわないことには始まりませんけれども・・・。
以下をクリックすればご覧になれます。
"A":聖なるものへの讃美
"I":駆けめぐる知性
"U":孤独の迷宮
"E":拒絶と主張
"O":抱擁、そして祈り
演奏そのものには微妙な箇所はありますが、おおむね曲の雰囲気は伝えられていると思います。
また、ご感想などありましたらお聞かせください。
動画の編集には意外に難儀しました・・・。たいしたことやってないのに。
| Permalink
|
| TrackBack (1)
December 15, 2007
PD合唱曲シリーズ に新曲追加しました。
「メヌエット 」という曲です。詩はいつもの立原道造。メヌエットということでいちおう三拍子系。
今回は、アップテンポで軽快な曲を作りたかったというのが作曲の動機。日本語のアカペラ合唱曲でアップテンポっていうのは実はなかなか難しくて、曲もそれほど多くないと思います。
歌う側としても、一般的にあまりアップテンポが得意でない方が多くて、まあたいていは単に譜面が苦手ということなんでしょうが、そんなこともあって敬遠されがち。
その一方で、合唱の演奏会で印象的なのは、そういう軽快な曲だったりします。これも歌う側と聴く側で意識の違うポイントの一つでありましょう。昨今の私のテーマでもあります。
アップテンポとはいえ、和音感、ビート感は「la la la」というヴォカリーズ(口三味線)で作りつつ、その上でソロのメロディラインが乗るというのが基本的な形。
だからメロディは、気持ちよく歌っちゃって構いません。逆に、ピッチやリズムにこだわるのは、「la la la」のパートということになるでしょう。転調も多いので、ソルフェージュ的な練習にもなるかもしれません。
興味がありましたらぜひ取り上げてみてください。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
October 16, 2007
PDとは Public Domain のこと。つまり著作権が切れて、誰もが自由に使える著作物のことです。
さて、実はPD合唱曲シリーズと称して、ネット上で自作品をPDFで公開しようという企画 を始めました。これらの作品は、Public Domain として著作権を行使しません。
そういえば、以前もこんなこと を書いていました。もともと、職業作曲家であるという意識はさらさら無いし、作曲したら演奏されてナンボだとも思っています。であるなら、ネットの特性を生かして、広く自作品を公開してしまおうと考えるのも自然ではないでしょうか。
とはいえ、全部の作品を公開するわけではありません(すでに出版しているものもあるし)。
今のところ、愛唱歌的なシンプルな曲を一曲単位で公開しようと考えています。むろん、詩は著作権処理の必要の無いものを使わざるを得ません。
シンプルとはいえ、多少実験的なことも試みてみたいです。実験的といっても超複雑、とかでなくて、もっとジャストアイデア的な感じで。
早速、一曲作ってみましたので、ぜひご覧ください。
ネット上を探すと、例えばこんなサイト がありますね。著作権の切れた作品を PDF でダウンロードできます。
もちろん、PD なので、ほとんどが古い曲なのですが、なぜか生存中の作曲家の曲もあります。これって、やはり作曲家が著作権を放棄したってことなんですよね。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
July 14, 2007
拍節感って何となく意味が通じてしまう便利な言葉なのですが、人それぞれ厳密なイメージがずれていないか、心配なところでもあります。
私の言うところの「拍節感」とは、「拍」がビートの最小単位であり、「節」は小節、つまり「拍」の集まりでもう一段階大きな構成を意味し、この二つが合わさることで、拍の強さとその繰り返し感全般を表している、といったような定義です。
従って、私にとって拍節感はテンポの速さとは関係ないし、リズムの種類のことでもありません。あくまで、ビートを感じるか、そしてその繰り返し感を感じるか、ということなのです。
そういう意味では、拍節感とは3段階のレベルがあります。
第一レベル:「拍」も「節」も感じない
第二レベル:「拍」は感じるが、「節」は感じない
第三レベル:「拍」も「節」もはっきりしている
第二レベルとは、例えばルネサンス期のポリフォニー音楽などを想像してみてください。そもそも、この時代の楽譜には小節線がありませんでした。ビートはたいてい二分音符が基本となっているのは感じるのですが、それがいくつあって一つの小節と感じるか、ということは音楽を聴いても感じるのは難しいでしょう。
あるいは、ビートははっきりしていても、言語に合わせて変拍子が多用されるような場合、音楽だけで小節感を感じることは難しくなります。それも第二レベル的といえるかもしれません。
「拍」を感じる音楽が、さらに「節」まで感じられるようになるには、「拍」の繰り返し感が必要です。
繰り返し感は基本的には、メロディや伴奏のパターン類似性から類推できますし、また各ビートの強弱でその感覚は補強されます。場合によってはビートによって長短がつく場合もあるかもしれません。西洋音楽的にはポリフォニーがホモフォニーに変化していく段階で、このような「節」感が明確になってきたものと思われます。
メロディにおいても、上記の三レベル、いずれのパターンもありえると思います。例えば、民謡のメロディなどを集めてみて、上のレベルに当てはめてみるといろいろと興味深いことを感じられるかもしれません。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
July 10, 2007
以前、「音楽と言語 」という本を紹介したんですが、まさにこの本、言語と音楽の関連性を述べているわけです。西洋音楽史全体を俯瞰した考察は大変示唆に富んでいます。
そもそも、この本が言っていることは、最初に音楽と詩が不可分の状態にあり、そこから韻を持つ詩の世界と、リズムや音階を規定した音楽の世界に分かれた、と述べられます。そして、西洋音楽の歴史が、言語へのすり寄りと音楽そのものの力学の間で、振り子のように振れていることを時代を追いながら解説しています。
前回私が書いたタイプ分けで 言うなら、現在のポップス全盛の世の中では、タイプ1の、言語感を大事にしながら、拍節感の強い音楽が一般的と言ってしまってよいと思っています。
しかし、タイプ1の中でも、より言語依存度を高くした、タイプ3のベクトルを持った音楽、あるいは逆に、器楽的なメロディを多用したタイプ2のベクトルを持った音楽というのがあるのではないでしょうか。
音楽史的には、バッハはまさにタイプ2的な音楽を志向していました。声楽であっても、徹底的に器楽的に扱うという方法です。「音楽と言語」でもこのように述べられています。
「彼(バッハ)は言葉を、響きをもち、形をもった意味形態として使用することをやめた。すなわち彼は、言語を自律的な表象像の総体、あるいは言語的形態としてみなすことをやめて、むしろそれをとくに言語的な性質をもたない意味関連の標識として、つまりそこに述べられている意味を単に指し示す指標としてみなしていたのである。」
言葉を語られるものとして使うのでなく、その意味のみを利用することによって、より音楽は器楽的な方向性に向かいます。確かにこのことは器楽的なメロディの特徴の一つを表しているように思えます。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
July 05, 2007
昨日の調子でメロディラインを解析していくと、ちょっと大変なことになりそうなので、もう少しマクロ的な視点に変えてみましょう。
ものすごく荒っぽいのだけど、メロディの特徴を二つの評価軸で表現してみようと思います。
一つ目は、拍節感の強さ。
二つ目は、言語依存度の高さ。
言語依存度が高いという意味は、歌詞が付いている可能性が高くなり、人に歌われるという側面が強くなるということです。逆に言語依存度が低いほど、器楽的なメロディになっていく、というような意味です。
この二つを掛け合わせると、メロディは4種類のタイプに分けられることになります。
タイプ1:拍節感が強く、言語依存度が高い
タイプ2:拍節感が強く、言語依存度が低い
タイプ3:拍節感が弱く、言語依存度が高い
タイプ4:拍節感が弱く、言語依存度が低い
これにものすごくざっとですが、音楽のジャンルや楽器のイメージ等を当てはめてみます。
タイプ1:ポップス(歌モノ)
タイプ2:管弦楽曲、室内楽曲、ジャズ、フュージョン(インスト)
タイプ3:民謡、聖歌、レシタティーヴォ、詩吟
タイプ4:現代音楽、尺八
かなり乱暴な分類もありますが、何となく言いたいことはわかってもらえたでしょうか。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
July 04, 2007
メロディ学なるものがないのなら、作ってしまおう!という勢いで、メロディについて分析してみたくなりました。まあ、手の込んだ冗談とでも思って読んでください。^^;
まずはメロディの定義から。
「音程を持っている一つの音が、時間の経過とともにその音程を変えていった一連の軌跡」というのはどうでしょう。この定義だと、音程のない打楽器にはメロディは奏でられないし、また同時に二つ以上の音が鳴っている場合はメロディを特定できない、ということになります。
さて、この定義からすると、メロディは二次元のグラフにて即物的な記述が可能になります。縦軸は音程、横軸はもちろん時間。つまり、メロディを分析するには、この二次元グラフ上に描かれた一本のラインの性質を解析することに他なりません。
そのラインを解析する視点をいくつか挙げてみましょう。
・時間軸上の周期性(拍節感)
・メロディ内の各音程の関連(分散和音、スケール、調など)
・単位時間当たりの音程の数、音価の最小単位
・音程跳躍の量と頻度
・・・まだまだありそうですが、まずは上記の項目について論じるだけでも大変な時間がかかりそうですね。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
June 28, 2007
メロディを論じるならJ-POP・・・と思ったのだけど、よく考えたら最近買ってるJ-POPのアーティストって椎名林檎くらいなのに気付きました。ならば、椎名林檎のメロディセンスについて、思うところなど。
椎名林檎のメロディの特徴は、9度の多用、という点が最も大きいのではないかと思います。
9度というのは、根音を「ド」とした場合の「レ」の音を意味します。短調の場合は、根音を「ラ」とした場合の「シ」。
最新アルバムの「平成風俗」から抜き出してみましょうか。
最初の「ギャンブル」。最初のメロディの終止がいきなり9度。それからサビに入って、声に泣きが入るところも9度の音ですね。つまりメロディの終わりという特徴的な場所に9度を使っています。
2曲目の「茎」では、サビの冒頭の音が9度の音。これもメロディの冒頭という重要な音です。
「浴室」もメロディの冒頭が9度から。そして、「ポルターガイスト」もメロディの冒頭が9度。この曲は、メロディの頂点になる音が9度になるパターンが非常に多いです。
そんな感じでちょっと聴いただけで、これだけ出てきます。これは、もはやメロディメーカーとしての、くせのようなものなのでしょう。
その他、椎名林檎のメロディの特徴として、若干器楽的な傾向があるような気がします。
メロディの繰り返しを増やしてメロディラインを印象付けたり、音程の跳躍が印象的だったり。「ポルターガイスト」の最後のメロディ、「ことに気付き始めました・・・」という部分、このメロディラインって、もうバッハの域に達してますよ。気になる方は採譜してみてください。(って誰もしないか)
| Permalink
|
| TrackBack (0)
June 24, 2007
クラシック的な意味での作曲で言うなら、メロディの創作は、作曲の一部分でしかありません。
メロディを考えることの他に、楽曲の構成、和声、その他のオブリガード(副旋律)、リズムパターン、対位法的処理、全体の統一性、などなど、色々なことを考えなければいけません。そうなると、作曲作業全体におけるメロディ創作の比率は落ちてきて、そこに割かれる考慮も薄くなる可能性があります。
もちろん曲によって、求められるメロディも変わってきます。
歌曲的な音楽なら、シンプルにメロディ+伴奏という形ですから、メロディの比重が高まります。ただし、器楽的要素が増してくると、その楽器で聴き栄えするような盛り上がりを作ると、少々一般的なメロディ度は弱まってきます。
それが緊密なアンサンブル音楽になってくると、メロディが曲想に合わせて展開をしていくことが増えます。古典的な意味での展開、というだけでなく、一つの音楽の中で、主題やその断片が作曲の素材として散りばめられることは少なくないはず。こういう音楽になってくると、主題はむしろシンプルで力強いほうが使いやすくなります。あまりに流麗で存在感が強いと、メロディパートだけに注目が集まるし、そういった旋律は切り刻むのが難しいのです。
シンプルな主題だと、反転したり、逆行したり、切り刻んだり、そういう加工がし易いし、加工したことも分かり易くなります。
一般的にクラシックにおける作曲では、上記のアンサンブル的な音楽のほうが芸術性が高いと思われているわけですから、流れるようなメロディの美しさというのは、必ずしも芸術性の高さには結びつかないと感じることがあります。
チャイコフスキーやドヴォルザークなども、メロディが流麗な作曲家なのだけど、だからこそ通俗的だと言われてしまっている気がします。
絵画で言えば、シンプルな主題を加工して使う方が抽象画で、美しい旋律がある方が風景や女性を描いた美しい絵、というように対応する、と考えると面白くないですか。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
June 19, 2007
先日の浜松合唱団のラターを聴いて、あらためて良いメロディの力は強いなあ、と思いました。
音楽を聴く楽しさの大きな要因に、美しいメロディというのは欠かせないと思います。それもまた、ここ何回か書いている聴いて楽しい音楽、に繋がる話ですね。ぶっちゃけ、メロディが印象的でなければ、その音楽も面白いと感じるのは難しいでしょう。
そんな重要なメロディなんですが、ふと考えてみると、美しいメロディを作るための学問みたいなものって、あまり聞いたことがありません。一般的に教えられる音楽の理論の中でも、メロディそのもの書き方を扱う理論というのは恐らく一般化されていないと思います。
ジャズのインプロビゼーションの理論書にしても、つまるところ和声やモードから導き出されるスケールの話ばかりで、そのスケールからどのような順番や音価で音を拾えばいい旋律になるかは言及されません。ひたすら、譜例がたくさん載っていて、手で覚えましょう、ってな具合です。
音楽は非常に理詰めっぽくて、様々な理論体系があるにも拘わらず、こんな大事なことが理論化されていないんですね。しかし、それこそが音楽が芸術たる所以なのだとも思えます。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
May 22, 2007
私のページの「オリジナル作品一覧 」を見てもそれほど更新されてないので、そんなに作曲してないと思われるでしょうが、なぜか最近楽譜を結構書いています。
もちろん、本業の作曲家なら1年で合唱組曲を3つも4つも書くのでしょうが、さすがにサラリーマンの私にはそんなマネはできません。そもそも作曲もそれほど頼まれてないし。
最近何が多いかというと編曲モノ。それも一発限りの。たまたま、いくつか器楽系の編曲を頼まれるようになって、ポップスや懐メロ、スタンダードのような曲を、ピアノ、フルート、チェロ、ヴィブラフォン、チェンバロ等の楽器による小アンサンブルに編曲したりしています。
器楽は自分の音楽活動の中であまり馴染みが無いので、こういう機会に楽譜を書けるのは自分にとっても良いことだと思います。だって、楽譜を書くならある程度楽器のことも調べなければならないし、そういう過程で自分の音楽経験値が上がっていくはずですから。
こういった編曲をするとき私が心がけていることはこんな感じ。
難しくしないこと
構成やリズムは大胆に変化をつけること
曲の元の和声はあまり変えないこと
楽器を特徴付けるような装飾音符や奏法をメロディに付加すること
といったところでしょうか。その楽器での特徴を出し、一度限りの分かりやすさ、格調高さと思わずニヤッとする面白さが同居するような、そんな編曲を目指しています。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
May 10, 2007
久しぶりにプレイヤーズ王国に曲をアップ。
アカペラ民謡アレンジシリーズ、今回は「北海盆歌」。
となりのリンク集「Unit1317のページ (プレイヤーズ王国) 」で聴くことができます。
オリジナル編曲で、妻と私のアカペラ5声で演奏してます。聴いて欲しいと思う反面、相変わらず自分の歌が下手なので、そのあたりはあんまりしっかり聴かないように。
それにこういった多重録音って、凝りはじめると何度も録り直したりして、延々と完成しないことになるので、逆にほとんど録りなおしせずにあっさり作ってしまいました。だから、タイミングなどがずれてたりしても直してないです。
と、言い訳ばかりですが、基本的にはアレンジするのを楽しんでますので、私の編曲を聴いてもらえると嬉しいです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
February 18, 2007
ホームページで聴けるMIDIデータを増やそう運動中。
今回は、混声合唱曲集「はる なつ あき ふゆ」より一曲目の「はるよこい」と、詩集「食卓一期一会」より「ブドー酒の日々」の2曲です。
ちなみに、「はる なつ あき ふゆ」は日本の四季の風物をテーマにした18の短い詩に、それぞれ個性的な短い曲を付けてみようという試みの合唱曲集。どの曲も1~3ページ程度。なんと4小節しかない曲もあり。ただ、全18曲ということで、これもなかなか演奏の機会がありません。
友人や近場のグループで断片的に歌ったことがありますが、まとめて歌うと四季の移ろいを感じることが出来て、ステージとしても面白いと思います。矢川さんのやわらかで繊細な詩のセンスが、ありがちな季節の風物詩に陥らない不思議な異空間を作り出しています。
もう一つは長田弘氏の詩集「食卓一期一会」から詩を選んで、3年前にヴォア・ヴェールで初演した作品。
いずれも料理を題材にした面白い詩です。「絶望のスパゲッティ」「ユッケジャンの食べ方」は詩の内容がいずれも料理のレシピのようになっていて、曲が進むとだんだんと料理が出来ていくという趣向。
今回MIDIでアップしたのは「ブドー酒の日々」という、短めの落ち着いた感じの曲。しっとりと歌い上げると雰囲気が出ると思います。
これらの3曲は極力ディビジを廃しており、少人数の合唱団でも取り上げやすい曲になっています。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
January 28, 2007
無茶苦茶面白くて一気読みしてしまいました。作曲家を目指そうとしている人の夢を打ち砕き、商売敵を減らそうという目論見なのか、筆者が経験した悲惨な体験の数々を暴露する、というのがこの本の隠れた楽しみ方。名前は伏せてありますが、恐らくその筋では、簡単に誰だか分かってしまうに違いありません。少なくとも、合唱に関する話題では、誰でも知ってる某指揮者の名を思い浮かべたし。
最近はテレビでの露出も増え、アヤしい音楽家としての地位を確保しつつ青島氏でありますが、恐らく日本的な慣習に体質が合わない芸術家の典型なのかとも思います。虚栄で行動することの愚かしさを発言すればするほど、業界から干されてしまう(?)氏の体質には正直共感を覚えるところもあって、そういう目でこの本を読むととても興味深いです。
読んでみると青島氏は音楽史全般について非常に博学。しかも、その本質的なところをよく捉えているように思います。この本は、もちろん著者のぼやきだけでなくて、過去の作曲家の世知辛いエピソードもたくさん散りばめられています。崇高と思われている作曲家の神秘性を信じる人には、受け入れがたいかもしれません。(そういう人が、納豆ダイエットとかに騙されてしまうわけですけど)
実際のところ、氏のようなシニカルな視点は、一般社会の中では「ふざけている」というような反応をされることが多いと思います。それでも、社会に対する(小さな)問題を告発するために、私たちはもっと皮肉屋になるべきじゃないかと感じたりします。欧米って、そういうのってかなり辛辣ですし。
しかし、これだけの実績を持っている人なのに、どうしてそこまで自己卑下するのかなあって部分もあって、私など氏の足元にも及ばないのですが多少は反面教師とさせていただきたいと思います。
それにしても、こんな本さえ、「のだめブーム」の便乗本にしてしまうのは、講談社のしたたかさなんですね。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
January 25, 2007
そんなわけで、実は「オリジナル作品一覧 」のページで地道にMIDIデータをアップしています。
どれだけの人が私のページで MIDI を聴いてくれているか、はなはだ疑問ではありますが、数少ない私のファンの皆様、ときどき上のページもチェックしてみてください。
今回は、編成的にもっとも演奏される可能性の低い「うろくずやかた」を、なんと!全曲分アップです。
伴奏付きなので、アカペラよりは聞きがいがあると思います。よろしければ全曲通して聴いてみてください。
もう一つ、最近アップした曲で「プエブロ・インディアンの言葉」という組曲から「今日は死ぬのにもってこいの日だ」が聴けます。作曲はもう5年ほど前のことですが、いまだ未初演。
ただ、自分で言うのもなんですが、この曲、きっと感動してもらえると思います。自分の中でも、詩の雰囲気をうまく曲で表現できたと思える一曲。このまま埋もれるのはもったいないので、アップすることにしました。MIDI なので、詩はどうしてもわからないけど、曲の雰囲気が伝われば幸いです。
これらの曲について興味がありましたら、遠慮なく連絡くださいね。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
October 04, 2006
基本的に、MIDIシーケンサとしてCubase SX3を使っているのですが、これはいわゆる音楽制作ソフトというヤツで、正直言って MIDIシーケンサとしてはかなり使いづらいと思います。そもそも、昔ながらのDTMとは、おおよそ発想が違っているわけです。
私の場合、MIDIで打ち込んで、ぎちぎちに作品を作るというようなことはしないのですが、それでも自作品をホームページで聴ける程度のMIDIデータは自分で作りたいもの。とりあえず、人に自分の曲を聴いてもらうには、MIDIは大変重宝します。
そんなわけで、もうちょっといいMIDIシーケンサはないものかと思っていたのです。ヤマハのSOL2でも悪くないのだけど(使い方は良く知っている)、いまさら3万円も出して買うほどのものでもないし・・・などと考えていたのですが、ふと思い立って、フリーのMIDIシーケンサを探してみました。
そうしたら、あるわあるわ。結構、立派なものもあって、正直驚きました。フリーウェアでこれだけのものが流通していれば、そりゃウン万円もするソフトが売れるわけはないですね。
確かに、市販のソフトに比べると、??といった動きをすることもあるし、バグも結構多そうだけど、タダでコレだけ出来れば十分。複数のソフトをダウンロードして比較してみたのですが、しばらくは、これ を使ってみることにしています。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
August 07, 2006
かっこつけても仕方ないので正直に書きますが、作曲コンクールへの応募は迷いの連続でもあります。
そりゃ、応募するのだから入賞したいのは当たり前。応募するという行動は、入賞という大目標なくしては語れません。ということは、応募のために曲を書くということは、どうしたら入賞できるか、と考えることでもあるわけです。
真っ白な五線譜を前にしたとき、作曲家には無限の可能性があります。どんな音符だって書いてもいいんです。しかし、自由さは不自由さの裏返しでもあります。無限の可能性に眩暈を覚え、その不自由さから逃れようとして、様式にすがろうとします。この様式というものを、どういうものと捉えるかで、作品の質はずいぶん変わってきます。
例えば、もう10年以上アカペラを書き続けた私ですが、ピアノ伴奏付きの作曲というのは一つの誘惑でした。もっとも、近頃ピア伴の曲を書いていないし、そんな自分が書いても納得いくような曲が書けるわけはないと思うのですが、それでも毎年ピア伴の曲が入賞していると、やっぱりピア伴かなあ、と迷ったりしました。しかし結局、私は初志貫徹、アカペラで通しました。
賞を取ることと、自分らしさの追及は、微妙にすれ違います。本来、そんなことを意識すべきではないと考える方も多いと思いますが、逆に、それさえ計算ずくで意識すべきだという考え方もあります。そもそも、自分が大切にしようとしている自分らしさが、一般的に評価に値するものなのか、そういう疑問だってあるのです。そのとき、どこまで自分の信念を貫けるのか、私のようなアマ作曲家には何とも判断しがたいのです。だって、私を評価してくれる市場そのものがまだほとんどないのですから。
自分らしさ、あるいは個性、と呼ばれるようなものは、果たして計算して出るものでしょうか?それとも自然と滲み出るものでしょうか?そんな疑問にさえ自分が答えていかなければ、音符を紡ぐ準備さえままなりません。
結局、今の私の心境は、無欲の勝利、などというのはあり得ない、というところに至っています。
間違っていようとも、考えに考え抜くこと、良い意味で計算ずくであること、そしてより抽象度のたかい個性を見つけ出すこと、自分が強く羽ばたきたいなら、どこまでも狡猾であるべきではないかと、今はなんとなく感じています。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
July 23, 2006
承前。
「限りないもの、それは欲望~」と歌ったのは井上陽水。
賞をとる前は、取ることが最大の目標であったわけですが、取った後は、作曲家としてもっともっと活躍したいと思うもの。
朝日作曲賞は一度取ってしまうと、もう次回からは応募できません。それに、一度だけ賞を取っても、課題曲として歌われた後、その後も活躍している方というのは実は非常に少ないように思います。現実的には、朝日作曲賞を一度取っただけで、その後作曲家として活躍できるというのは大きな幻想です。これは、作曲家としての力の問題だけではなく、合唱指揮者や合唱界のマインドみたいなものの一つの表れなんだとも感じます。(要するに、十分な経歴が無いとなかなか作曲家として認めてくれない)
幸い、私が「だるまさん」で受賞した後、朝日作曲賞は組曲応募に変わり、二回取れない規定も以前の受賞者には適用されなくなりました。それに加えて、これまでの4分以内という規定から、20分以内の組曲になって、より総合的な力を評価してもらえる、ということも新しい朝日作曲賞の大きな魅力。そんなわけで、組曲応募になってから数回は見合わせたものの(「上野の森コーラスパークの作曲コンクール」に出したりしたので)、またまた朝日作曲賞を狙ってみようとチャレンジ開始したのでした。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
July 19, 2006
何だかんだ言って、結局私の作曲活動は、朝日作曲賞(合唱連盟の課題曲公募)と共に歩んできたような気がします。
そもそも最初に課題曲公募に応募したのが私が大学生の頃。80年代後半だから、まだ朝日作曲賞と呼ばれてなかったころです。今思えば、送ったものは全くド恥ずかしい代物なんですが、せっかく作ったんだから送ってやれ、というような気分だったのでしょう。
気合を入れて応募し始めたのが、90年代中頃くらいからでしょうか。それから数年は、もちろん箸にも棒にもかからずという
Recent Comments