February 17, 2007

疑似科学

ちょっと前の納豆ダイエットから始まって、テレビ番組での科学の扱いが問題になっています。
いちおう理科系の端くれの私としては、以前よりこういったテレビ番組のあやしさは常々気になっていたのですが、それでもテレビに向かって「そんなわけないじゃん!」とか思っていても、意外と周りの人って番組の内容を素直に受け入れていて、逆に驚いたりもします。
特に腹が立つのは、占いとか心霊モノとかの類の番組。正直言って、私は心の底から全くそのようなものは信じないわけですが、何であんなもの、みんな信じるんですかね。どうせ、心霊ネタやるんだったら、もう少しまともな作り方にすれば良いのに(文学的、芸術的匂いを感じさせるとか)、どうしてこうも下世話になるのか不思議なくらいです。
科学的に考えればあり得ないとしか思えないのに、そんなことを言うこと自体がなんか野暮のような気がして、いつも心の中で留めておいています。

私の思うに、そういう番組を「こんなことってあるのね~」なんて見ている感覚こそが、疑似科学にだまされるような心理につながるような気がしています。
占い、心霊、疑似科学などには共通していることがあると思います。それはいずれも、その結論が個々人の人間の欲望とつながっているという点です。こうあって欲しい、こんなになったら嫌だな、こんな風に自分はなりたい……そういう人々の想いが、疑似科学を通じて現実となる可能性を示された途端、人々はよく検証もせずに無条件に信じたくなってしまうのです。
だから、こういうものに騙されない方法は意外と簡単なのです。
結論が直接自分の欲望を満たすようなものは、たいていアヤしいです(「痩せる」とか、「記憶力が良くなる」とか、「いつまでも元気でいられる」とか)。なぜなら、その命題が結論から先に作られている疑いがより増すからです。一つ一つ疑いの目で見るのも良くは無いように感じるかもしれません。でも、場合によっては経済的損失だってこうむる可能性があるのですから、もう少し私たちは賢くなるべきだと思うんですけどね。

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February 12, 2007

三連休に風邪で寝込む

金曜から体調が良くなくて、家に帰って体温を計ってみると、何と38℃の熱。こんなに熱が出るなんて最近では記憶にないくらい。土曜に医者に行ったら、どうやらインフルエンザではないとのこと。とりあえず普通の風邪薬をもらってきました。
しかし、結局この三連休、どこにも行かずに一人で家でぐったりしています。長文を書く気も起こらないので、今日はここまで。

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January 08, 2007

新春散財

昨日、私と妻の二人分の携帯を買い替えました。
4年前に au に変えてから、私は4年間同じ携帯を使い続けていたのですが、何とな~く携帯を変えたくなって、二人ともども機種変更することに。
私が買ったのは、au のデザイン携帯の最新作「DRAPE」ってやつです。色は黒。
ここのところ、次に買うならスマートフォン(キーボードがある多機能型のヤツ)がいいなあ、と思っていたのです。さすがに昔買った Palm も時代遅れになったし、スケジュール管理とかきちんとしたかったので。しかし、au でなかなかスマートフォンが現れないし、今のスマートフォンもまだまだ使いにくそうだなあと二の足を踏んでいたとき、DRAPEのデザインを見て、これイイ!とか思ってしまったのでした。

指紋が目に付きやすいのがタマに傷ですが、流れるような美しいフォルムに満足です。
しかし、最近は携帯にたくさん機能があって、覚えるのが大変…

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November 13, 2006

またしてもぎっくり

うー、忘れた頃にやってくるぎっくり腰。
土曜の朝、椅子に座っていてちょっと身体を動かしたら、腰に突然の激痛が・・・。別に重いものを持ったとか、全然そういうきっかけじゃなくて、もう予測がつきません。今までの時の話は、これとかこれ。前回は、本当に動けなくなったけど、今回はコルセットを付けて動き回れるくらいだからまだ良かった。
それにしても、そんなときに限って本番があったりします。
昨日はヴォア・ヴェールでとある施設に訪問演奏しに行きました。そんなにシビアなステージではないけれど、もっとノリノリで歌ったり指揮したりしたかったんですがね。礼もままならなくて、やな感じに見えたかも。

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October 24, 2006

生命のサイクル

人間の細胞の中には、遺伝情報が格納された46本の染色体があり、そのうちの半分は父親から、そして残りの半分は母親から譲り受けたものです。
よくチープなドラマで、出生の秘密とか言って実は主人公の両親は実の親ではなかった、というようなストーリーがありますが、私にはそんな状況はあり得ないような気がします。なぜなら、両親の身体的特徴やら性向などを、自分自身が受け継いでいると身をもって感じているし、だからこそ自分が今の両親の子供であることはあまりにも明白だからです。
若い頃にきびの出た場所だとか、すぐお腹をこわすとか、腰痛持ちとか、遠視気味だとか、そういった身体的特徴はしっかり遺伝しているし、両親の性向だって少しずつ自分に受け継がれていると実感しています。
例えば、母は華道の先生をしたり短歌集を自費出版するなど、芸術的活動が好きで、自分の創作意欲などは母親から受け継いだように感じます。一方、父からは、理系的な性向を受け継いでいます。父は理系でも技術者でもない商売人でしたが、それでも私には父が正真正銘の理系的人間であったと感じています。しかし残念ながら、自分には父の強力な記憶力はあまり遺伝しなかったようですが・・・

生命のサイクルが回転することによって、そういった遺伝情報は子々孫々に伝えられていきます。「利己的な遺伝子」では、遺伝子は生命個体を乗り継ぎながら次世代に残ろうとする利己的な存在であり、生命個体はそのための単なる生存機械(サバイバルマシーン)に過ぎないと述べています。そして次世代に情報を伝え役割を終えた生命個体はただ朽ちていくのみなのです。
それはそれで非常に深遠なる生命の神秘ではあるのだけど、それでも、それぞれの生命個体は、朽ちていく命に対して悲しみを感じ、悼む気持ちを持たざるを得ません。生命のサイクルは、綿々と続くそういった生命個体の犠牲の上に成り立っていることを、今は深く感じているのです。

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May 10, 2006

朽ちていくヘッドフォン

ヘッドフォンは、仕事でも家でも大変お世話になっている機材。
家では、夜中に一人、電子ピアノを叩いたり、楽譜・シーケンスソフトでプレイバックしたりするとき、ヘッドフォンはかかせません。でもなぜか、普通に音楽を聞くときは滅多に使わないのですが・・・
体に触れるこういう小物は、安いものを買ってはいけないと思い、そこそこの値段のものを使っています。低音もしっかり出るし、耳をすっぽり覆うので音に集中できます。

しかし、こういったタイプのヘッドフォン、長い間使っていると、耳当ての部分の黒い薄皮が破れてくるのです。会社のヤツも家のヤツも両方とも破れてきました。耳当て自体はスポンジで出来ていて、そのスポンジの外側を黒い薄皮が覆っているのですが、いったん破れ始めると連鎖的にこの皮が少しずつ剥がれていきます。
何が嫌かって、この細かく破れた皮が、耳の周辺に貼りつくこと。ふと気づくと、耳に妙にくっきりした黒い点が付いていて、慌てて耳を払う羽目に。
最近は、フローリングの床の上に落ちていたり、お風呂に浮いていたりして、妻にかなり迷惑がられています。
そういや、会社のもウチのもオーディオテクニカ製だったか…

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April 10, 2006

あの~、長谷部雅弘とは、どこのどなたでございましょう?

ハーモニー春号、楽しみに待っていたら思いっきり誤植じゃないですか!!P87をご覧ください。私の名前は「雅弘」じゃなくって、「雅彦」だってば。
朝日作曲賞の山内さんの名前と混じっちゃってますよ。まあ、同じような名前が二人入賞したのが罪といえば罪なのかもしれないけど・・・しかし、この場所、フォントが大きいだけに、誤植の罪はもっとでかいス。
そんなわけなんで、次号では、同じくらいのフォントの大きさで^^;、誤植のお詫びを出していただきましょう。

検索で引っかかりやすいように、あえてタイトルを間違った名前にしてみました。さて、これで辿りつく人いるかな。
以上、まだまだマイナーな作曲家の切実な叫びでございました。

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October 15, 2005

タイトル変更

実は私が最初にインターネット上にホームページを立ち上げて10年が経ちました。
考えてみれば随分長い間やってるんだなあ、とも思うけど、10年前とはネット環境も全然違っているし、ブログなんて昔は考えもできなかった。だから、同じことをやり続けたという実感もさしてないのです。それでも「日曜作曲家の午後」というタイトルで長らくやってきて、それなりに愛着は感じてきましたし、ネットでも認知されてきたと思います。
自分のトレードマークともなるタイトルを変えるのはあまり良くは無いけど、10年経ったということもあり、ふとタイトルを変更したくなりました。そう思うと、自分でわざわざ日曜作曲家というのも、何だか作曲活動にエクスキューズをしているようで良くない気がするし、人に歌ってもらう以上は、それなりに自信と責任を持たなきゃいけません。
そんなわけで新タイトルを「アルス・ポエティカ~音と言葉を縫いつける」としてみました。
アルス・ポエティカはラテン語で詩の技法という意味になります。ある意味、曲を作るということは広い意味で詩を書くこととそう変わらないのではないか、そんなつもりで「詩」の技法と名付けてみました。
「音と言葉を縫いつける」というのは、まさに歌を作る仕事そのものではないでしょうか。表現は堀口大学の詩「縫ひつける」を借りてます(タダタケ作曲のやつが有名ですね)。
リンクをしていただいている方々は、リンク先が変わるわけではないですので、暇なときにでもタイトル変更にご対応ください。よろしくお願いします。

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October 05, 2005

複素数の逆襲

仕事の関係で今更ながら信号処理の勉強をやっています。
大学時代のおぼろげな記憶のかなたから、フーリエ変換やらZ変換やらを呼び起こすというか、正直言って初めて理解するというか、そんな状態なわけですが、実は結構楽しんでいます。恐らく、それは現実に音を扱うことを仕事にしたり趣味にしたりした関係なのでしょう。そういった理論が現実世界とどう結びついているのか、今になってとても実感するのです。

そんな中で、全ての基礎となるのが、この複素数というヤツ。高校のときにみんな習ったはず。
二乗したら負の数になるという虚数なんてのが現われて、この実数と虚数の組み合わせの複素数で数字を現すわけです。だいたい、この虚数というヤツは何なんだ、と高校の頃の私はどう思ったか定かではないけど(受験のためだ、なんて冷めてたかもしれない)、だいたいほとんどの人が拒否反応を示すのではないでしょうか。

しかし、この複素数は我々を取り巻く様々な技術の中で応用されています。
デジタル信号処理も複素数が一番最初の入り口。これがないことには何も始まらない。
数学に明るくない私のような者が言うのもなんですが、複素数っていうのは、いわば「見えない次元」なのかな、と思います。音は単なる空気の振動だから、一次元のデータなのに、これを複素数を使って二次元化すると、いろいろな解析が出来るようになるのです。もちろん、その解析にはオイラーの公式という驚くべき式の威力のおかげもあるのですが……
相対性理論でも、不変と思われた時間を三次元に加えて、四次元的に考えることでうまく説明がつくのと似ています。自分たちの位置とは異なる別の次元に昇ることによって、見えなかったことが見えるようになる、というのは普遍の真理なのかも。

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February 06, 2005

ぎっくり腰

正月にちょっと腰を痛めて、少し良くなったかなと思いつつも何となく違和感を感じ続けていたのですが、金曜の朝、突然ぎっくり腰に襲われたのです。
こりゃやばいと会社を休んで、しばらくベッドに横たわっていると、それ以降、立ち上がることもままならないほどになってしまいました。腰が痛くなって、こんなに動けないのは初めてで、本当にそのときは救急車でも呼ぼうかとマジで思いましたよ。
そんなわけで金曜日は寝たきり状態でした。土曜日に医者にいってブロック注射してもらったり、座薬を入れたりして、ようやく動けるほどにはなってきました。
こんな時期に、なんと今日はチェレステの演奏会で本番。結局、長丁場の1ステージはパスし、2,3ステージはお辞儀もままならない状態でしたが、なんとか舞台に立ちました。皆さん、ご迷惑をおかけしました。まあ、それでも今日は大分よくなってはいましたが。
トイレもままならないほど、動けないというのは本当に情けないです。介護してくれる人がいないと生きていけない人の気持ちがちょっと分かった気がしました。

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January 13, 2005

2005年・・・かあ。。

いろいろな書類に年号を書くときに2005年と書くと、あらためて年が変わったんだなあと思います。去年までは、なんとなく21世紀になった余波でだらだらと年が進んだ感じがするんだけど、2005年って、もう21世紀になって5年が過ぎてしまったんですねえ。
80年代、90年代、と言うのと同様に今を0年代というのなら、もうその半分が過ぎてしまったわけです。改めて考えてみると、この0年代というのはどんな時代なのだろう、と思っても何も思い浮かばなかったり。
私ごとで言えば、何かあったようであんまりなかった5年とも言えます。こうやって、そう大きなことも起こらないまま、これからの年月も過ぎてしまうのでしょうか。
今年はすっごくいいことがありますようにと頼んだ、1月4日にガラガラの神社での初詣の効力に、早くも疑問を感じている今日この頃。

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January 04, 2005

嫌いな技術-横長テレビ-

正月で実家に帰ったら、新しい薄型液晶テレビがありました。最近、薄型が流行ってますから、うちもいつ買おうかなと思っていますが、なかなか値が高くて手が出ません。
この手のテレビ、いまほとんど横長のサイズなんですね。妻の実家にもこの横長テレビがあって、行く度に違和感を感じています。私はどうもこの横長サイズのテレビというのが気に入らないのです。
なぜって、普通のテレビ放送の画面を無理矢理横に伸ばすから、元の画像がすごく歪むじゃないですか。わざわざ上下を少しカットして、両側を少し横に延ばしたりするから、画面の横側に写っている人ほどデブに見えてしまいます。美形の女優さんだってこれじゃ台無しです。
文字が横に流れるようなときに、横長の画面の歪みは顕著になります。両横に文字が写っているとき、文字は横に長くなるんですが、真ん中に行くと、ぎゅっと縮まる。字を見ていると、こんなにへんてこに画面のサイズをいじっているのがわかって、こんな画面でいいのかと突っ込みたくなります。
世の中、技術が進んでテレビの画像などもどんどんきれいになっていくのに、こういうことに無頓着な人が多いのはとても不思議です。だいたい、私だって映像の質にそれほどこだわるタイプじゃありません。だけど、オリジナルの画像の意図を著しく損ねるような横長サイズの画面だけはどうしてもいただけません。
こういう感覚、木を見て森を見ず、というふうに私には思えるのだけど、これだけ世の中に横長サイズのテレビが売れているのを見ると、私のこだわりの方がマイノリティなのか、妙な不安を感じるこの頃。
私のうちは、もちろん横長じゃありません。しかし、薄型テレビで横長じゃないサイズなんてあんまり見た覚えないし、今度買うときには横長を買わざるを得ないんでしょうか。

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November 13, 2004

「幼年連祷」の一節に想う

大学時代に歌ったことのある「幼年連祷(曲:新実徳英、詩:吉原幸子)」の一節をふと口ずさむことがあります。

「わらはないでいいひとが わらふのだった
死なないでいいけものが 死ぬのだった」

自分自身はこの言葉に思わず共振し、歌っていても妙に気持ちがこもったことを覚えています。
こういった言葉を聞いたとき、最初の一文で、例えば私腹を肥やす政治家、経済人だとか、人々を混乱に陥れるテロリストとか、暗躍するヤクザとか、その他、人を貶めて高笑いをしているような人々を想像し、それに対して、次の文で繊細で傷つきやすい人々を想像するかもしれません。そういった社会の矛盾をこの言葉に託して想いを込めるというのもあるでしょう。
さらに言うなら、こういった想いはどこまでも自分個人に向かい、繊細で傷つきやすい「けもの」を自分自身に投影し、自分はこの社会で生きていくにはナイーブ過ぎるんだなどとナルシスティックに夢想してしまうといったこともあるはずです。そのとき、「笑わないでいい人」は自分の身近にいるリアルな対象を想像しているかもしれません。
そのような思いを代弁してくれる言葉として、この詩の一節はとても印象的に響きます。

ところが、この言葉で表される気持ちってとてつもなく傲慢なんじゃないかと、ふと思ったのです。
自分の人生においては自分は自分でしかないわけで、常に自分は自分を正当化しようとし、自分の考えの範囲内において正義であろうとします。しかし、相手にも同様に相手の中の正義があるはずです。そのとき自分以外の考えを、相手の正義として考慮できないのは自分の怠慢なのではないでしょうか。世の中のあらゆる衝突、紛争は恐らく常に正義と正義の戦いなのです。そういった悲劇を繰り返さないためにも、私たちには相手の正義を少しでも理解しようとする想像力がもっともっと必要なのではないでしょうか。
だからこそ上の一節が、内向的ではあるにせよ、自分の正義の殻に閉じこもり、特定の人に対して「笑わないでいい人」と言い切ることに危うさを、そして傲慢な気持ちを感じるような気がしてきたのです。
もちろん、これはこの詩の、あるいはこの詩人の価値について論じているわけではありません。この言葉に共振してしまう心情について言っているのです。自分を憐れむところで思考停止することは、やはり傲慢さの一部なのではないかと。

こういったシリアスな話題は不得手ですが^^;、傷つく自分ばかりにフォーカスするあまり、傷つけている自分を忘れてはいけない、という自戒の念もあるのかもしれません。年齢を重ねると発言権も増してくるし、人を動かすことも多くなります。しかし、周りにいる人々が全て、その人の正義に基づいて行動しているのだということを常に想像することは必要なことだなあ、としみじみ感じています。

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October 24, 2004

台風23号のつめ跡

といっても、深刻な話題じゃなくて・・・(いや、あやうく私にとって、深刻なことになりそうだったのだけど)。
先日の台風の晩、うちの一帯が停電になったのです。
たいていの停電なら、数分して元に戻ったりするものですが、この日は午後7時過ぎから2時間近い停電。台風だったので私も会社から早く帰ってきてその時間は家にいたのでした。
停電になってから、暗闇の中で懐中電灯を探したり、ローソクを付けたりして、少しばかり災害の不安さを体験した気分。困ったことは、同時に断水になったこと。恐らくうちのマンションでは電気で水を汲み上げているのでしょう。電気が来ないと、本当に何も出来なくなっちゃうことを実感。

さて、停電だけなら良かったのですが、停電になったときパソコンを立ち上げていて、その後復帰した後に、もう一度パソコンを立ち上げなおすと、なんとパソコンがうんともすんともいいません。どうも停電になったときに、故障してしまったようなのです。
2年前に買ったものですが、スペックとしてはまだまだ十分使えます。それなのに、パソコン買い替えというのは出費がきつい。それに、ネットでライセンス登録したソフトとかは一体どうなるんですか?
メーカー製なら、修理に出すという手もありますが、ショップブランドだし、その辺りはあまり望めません。それで、新しいパソコンを買うか、自力で直してみるか、ここ数日いろいろ悩んでいたのです。
そもそも症状は、スイッチを押しても何も動作しない、というもの。立ち上がっている途中で止まってしまうのならマザーボードやHDのクラッシュなどが考えられますが、どう考えても電源かその制御部です。頑張れば直せないものかと考えてはみたものの、私もそれほどPCに詳しいわけじゃありません。

悩んでもしょうがないので、昨夜、PCを買ったDOS/Vパラダイスの浜松店に聞いてみたのです。
保証期間が過ぎているので、どこが故障したか調べるのには3000円を頂きますという話。仮に、そこで故障箇所が見つかったとしても、たとえ2年前の物とはいえ部品はもう無いから、例えば故障箇所がマザーボードなら、PCの買い替え以外は選択肢がないだろうということ。マザーボードだけ、最新のものに取り替えられないか、と聞くと、CPUのスロットの方式やRAMなどスペックはどんどん変わっているので、そこだけ最新のものに取り替えるのは無理だと言います。まあ、知っている人には当然の話ですが、確かにPCの進歩は早くて、2年前のものでさえ交換部品がないことは想像がつく範囲かもしれません。
それでも、単純な故障であることを期待して、3000円の出費が無駄になる覚悟で、今日、ドスパラ浜松店に行ってきたのです。
しかし、店員は故障箇所がどこであっても、2年前のものだと修理は無理である可能性が高いことをしきりに説明します。電源でさえ、ファンの位置が最近は違っていて、新しい電源は2年前のものに付かないこともあるらしい。
それから、もう一つとんでもない話があって、この3000円の点検では、HDを全て消去するとのこと。これはもう、自宅で使っているPCが壊れたから点検する、というサービスなんかじゃなくて、PC自作する人が部品を組み上げたら動かないというトラブルを解決するようなサービスであることにようやく気付いたのでした。
結局お店の人とやり取りしているうちに、PCを持ってきているなら電源だけでも見ましょうか、というやさしい提案をしてくださり、その場で、動作する電源を取り付けてチェックをしてもらいました。
そしてなんと、嬉しいことに電源を変えたらPCは無事BIOSが立ち上がるところまで動作をしたのです。
電源を変えるだけなら、きっと何とかなります。結局、ドスパラ浜松店では電源は入手できなかったので、その足で別のPCパーツショップへ。
そうは言っても、どこでどういうオチがあって、取り付けられないという事態になるか分かりません。しかもたいてい、そういうことを店の人に尋ねても、いまどきはそれほど親身になって話は聞いてくれないのです。実際、ユーザが持っているPCの環境は千差万別で、そういう状況に店の人は対応できないのが実態でしょう。ですから、PCのパーツを買うときは自己責任で、自信を持って買うのが王道なのです。
とはいえ、買ってきたら取り付けられなかった、のではショックが大きい。その店で、最も安い中国製の電源(1800円)を購入することを決断。写真で見る限り、ファンの位置も良さそうです。

というわけで、無事この記事をアップできているということは、その電源、ちゃんと動作してくれて、元通りPCは生き返ったということなのです。
いやー良かった、良かった。
確かに電源は、ケースと微妙にサイズが違っていて、ぴったしじゃなかったですが、ネジで無理矢理止めてしまいました。結局、3000円どころか1800円でこのトラブル解決しました。
政府の方へ。台風23号の被害総額に長谷部家のPC修理代、1800円を加えてください。

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January 17, 2004

嫌いな技術

様々な電気製品がマイコンで制御されるようになり、それに伴ってますますたくさんの機能が付くようになっています。
もちろん、マイコンが様々な制御をやってくれるということは、複雑な手順をボタン一つで順序どおりにやってくれるというような動作であったり、何十、何百通りもあるような方法を記憶してくれたりするような、まさにコンピュータが得意とする仕事を私たちのかわりに行ってくれるということです。
私自身も技術者の端くれとして、電気製品の機能を考えたり、実際に設計して実装したりする仕事をしているわけですが、その中でどうにも気に入らない機能、技術というのがあります。それは、機械自体が自分で考えてくれて、なんらかの処理を自動にしてくれるような機能です。それがほぼ決まりきった結論しかあり得ないような推論ならいいのですが、どうにも理解できない形で動作条件が変わるようなものは、どうも不備がありそうで自分にはいい印象を感じることが出来ません。

最近私が買ったものから具体例を挙げましょう。
昨年クルマを買いましたが、私の買ったカーナビ付きのクルマにはIT-NAVI SHIFTという機能がついています。これ、パンフレット読んでいたときから、上で言ったような機能の匂いを感じ、どうにも使う気になれませんでした。
どんな機能かというと、クルマにはエンジンやらミッションの制御にもかなりマイコン化が進んでいて、人間が操作しなくても勝手にスロットルを動作させたり、ギヤ比を変えたりすることが出来ます。実際、天候や現在速度などの条件によって、最も良い動作になるように設定されているはずですが、この動作がカーナビ情報とリンクすることによって、道路の状況によって勝手にギヤ比を変えてくれるというのが、このIT-NAVI SHIFTなのです。例えば、下り坂だと認識すれば、少しギヤ比を高くして、エンジンブレーキがかかるようになり、スピードが速くならないように制御するというのです。
こういう機能に、興味がある人も多いと思います。しかし、技術者な私としては、「もし○○だったら~」というフレーズがたくさん浮かんできて、逆にどうにも安心できなくなります。だって、走っていたら勝手にミッションのギヤ比が変わっていくんですよ。すごく怖くないですか。
思いつく限り上のフレーズを挙げてみると、前も談話でいいましたがカーナビの道路情報は必ずしも完璧ではありません。例えば、カーナビに書かれていない道路を走ったらどうなるのでしょう。あるいは工事で、道路勾配が地図情報と変わっていたらどうなるのでしょう。また、実際の道路で走らなければ気付かないような条件もあるのではないでしょうか。視界とか、混雑しやすさとか。
もちろん設計側は、安全サイドに振るように設計していると思いますが、だからこそ、動作するときとしないときの境界が使っている側に予測できなくなり、そこに恐怖感を感じてしまうのです。
クルマを買ってから、まず私はこのIT-NAVI SHIFT機能をオフにしてしまいました。

もう一つ、年末に流行りのHD+DVDレコーダを買いました。SONYのスゴ録というやつ。
知っている人も多いと思いますが、この中に「おまかせまる録」という機能があります。キーワードを入れておけば、レコーダが勝手にそのキーワードに適合すると思われる番組をサーチして、録画しておいてくれるというもの。
これ、結構多くの人が「この機能を使いたい」と言うのですが、どうも私としてはやはり気に入らないのです。この機能で番組をサーチする元になる情報はEPGによる番組情報なのですが(←EPGの電子番組表は超便利!!)、この情報には限られた文字しか書かれておらず、例えばタレント名を入れてからといって、必ずそのタレントが出ている番組を全て取ってくれるわけではないでしょう。もちろん、その程度のことは予期して使えば良いのでしょうが、そのぐらいのザル的な番組の集め方なら、本当に自分がみたいと思う番組をこの機能で見ようなどとは誰も思わなくなるのではないでしょうか。
実際マニュアルを読むと、いろいろと細かい動作条件が書いてあります。例えば、自分が録画予約した時間にまる録対象の番組があったら、自分が予約した番組が優先されます。また、HDの残量が少なくなると古いものから勝手に削除されていきます。その他にも怪しい条件がいくつかあって、こんなこと細かく気にするくらいなら、こんな機能使わなくてもいいと私は考えてしまいます。
少なくとも、勝手に録画してくれる機能が便利と思えるためには、予約番組が重なったときのことを心配しなくてもいいように、チューナが複数なければいけないと思います。また電子番組表の情報量ももう少し多くないといけないでしょう。
これだけの条件が揃わないと、何も気にせずに録画してくれるはずの機能が、この機能を使うがためにいろいろ気にしなくてはならないジレンマに陥ってしまうような気がするのです。

この、機械が自分で考えて自動に○○する、というのが本当の意味で信頼おけるものになるためには、もっともっと製品企画者が思う以上にたくさんの情報と、たくさんのリソースを必要とするように思います。上で紹介した機能も、将来的には当たり前になるのかもしれませんが、現状ではまだまだ動作に不信感を感じてしまうのは私だけでしょうか。

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