August 12, 2009
村上春樹の本を始めて読みました。
もちろん以前から気にはなっていたものの、何となく食わず嫌いみたいな気分は感じていたのです。
ところが、実際この「海辺のカフカ」を読んでみたら、なかなか面白い。思っていた以上に、楽しめた小説でした。
かなりの長編ですが、文章は比較的平易だし、純文系にしては様々な出来事が起きて読者を飽きさせません。「僕」と大島さんの観念的な会話とかはやや閉口するのですが(いや、それが好きだという人もいるのでしょう)、カーネル・サンダースのくだりはギャグのセンスもなかなかで、笑いながら読めます。
しかし、これがエンターテインメントと決定的に違うのは、全ての設定の謎は解決されないまま放置されるという点。現実のようでいて、全く無茶な出来事が平然と起き、その超自然現象についても結局フォローされないまま。まさに、マジックリアリズムといった趣です。そういえば、村上春樹の他の小説なんかも粗筋を聞く限りはこんな感じなんでしょうね。
不思議な設定がフォローされない、というのは、ある種作者の自信のようなものだと思うのです。超自然現象でも何でもありとなれば、掟破りのストーリーだって可能です。凡百のクリエータは都合の良い設定を、ストーリー展開の都合のよさに使ってしまう。それをやっちゃあ、お終いよ~みたいな。もちろん、村上春樹はそうならない絶妙なバランスを知っている。
天から魚が降ってきても、カーネルサンダースがポン引きしていても、はたまたテレビがある天国があったとしても、それが物語の機能としてきちんと消化できる自信があるからこその奇想天外な設定なのでしょう。
オイディプスの神話を物語の軸として使っているのも、物語の流れにうまく一貫性を与えており、非常に構築性の高い長編小説であると感じました。
しかしその一方、春樹節のいけ好かない感じもやや鼻に付いたのは確か。
音楽や文学に関する薀蓄の多さ(クラシックの作曲家や演奏に関しては逆に興味深いけど)、クールなガジェットの使われ方(やたらにブランドを強調したりとか)、結局のところ男の欲望がすんなりと成就される展開、などなど。十五の若さで、プリンスやコルトレーンやレディオヘッドなどの洋物を好んで聞く老成さも気になるし(間違ってもサザンやミスチルなんかは聞かない)。
そっか、村上春樹って最近は日本より外国のほうが売れているって言うし・・・。
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June 28, 2009
タイトルに惹かれて立ち読みしてみたら、これが大変面白そうなので、ついつい購入。
私が、このブログでくどくど言っていることが気持ちいいくらいそのまま(しかも分かりやすく)書かれていて、全編膝を打つような気持ち良さで一気に読みました。
著者は文筆家なのですが、芸術についても非常に造詣が深い方。本書では、特に特定の芸術について書かれているわけではないですが、個々人の「芸術」活動の方法について、その心がけのようなものが書かれています。
我々にとって取っ付きやすいと感じるのは、本当にこの方多趣味なんだけど、そのうちの一つに声楽があって、クラシック、特に声楽ネタが本書ではたくさん扱われています(三大テノール批判とか)。なお、本人はプロの声楽家と「重唱林組」などというカルテットを組んで、演奏活動しておられるとか。
やわらかで読みやすい反面、内容は相当辛辣といっていいでしょう。
特に、日本における芸術の扱われ方というのは、教育の世界でも、商業の世界でも、メディアにおいても、実に貧しい状況であることを嘆いています。また、個人レベルで見ても、人にレッテルを貼ったり、芸術家個人のストーリと芸術そのものの価値が混同されたり、訳知り顔のオタクが初心者をバカにしたり、カメラオタクがカメラの機種の薀蓄ばかり垂れていたり・・・などなど著者が嫌うような芸術態度が目白押し。
やや断定口調であるのは気になりますが、それらも言いたいことの本質はとても共感できるのです。
このブログをいつも読んで頂いている奇特な方には、超おススメの一冊。
もう私の意見かというくらい、私の日ごろ感じていることをきれいにまとめてあります。平易な言葉で書かれているので、半日ほどで読めるはずです。
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March 14, 2009
以前、「フェルマーの最終定理」がとても面白くて、それ以来サイモン・シンというライターは気になっていたのです。
今回の題材はずばり宇宙。それもビッグバンです。(というか、オリジナルタイトルはそのまま"Big Bang"なようです。)
上下巻二冊となかなかヘビーな量ですが、中身が面白くて飽きさせることがありません。
サイモン・シンの書き方の何が面白いかと言うと、一つには理論とともに、それを考え出した人間に注目を当てるという点。新しい登場人物があれば必ず生い立ちを説明するし、その人間性を示すような重要なエピソードを紹介するのです。
それは取って付けたような内容でなくて、なぜ彼らがそのような主張をするに至ったか、という点と密接に結び付けられていて、科学者の伝記とその科学理論が同じ文脈の中にきれいにまとめられています。
もう一つサイモン・シンのすごいところは、どんな最先端の理論であっても、そのエッセンスをうまく救い上げ、誰にでも理解しやすく説明し、その理論の科学史的、社会的な意味をきちんと記述してあること。
それだけで超難解な理論も、ものすごく人間くさい、身近な存在に感じられるから不思議です。学会内での論争もその場の臨場感をちゃんと伝えていて、いささか幼稚な学者同士の小競り合いも余すところ無く紹介してくれます。科学者を決して安易に聖人君子に祭り上げません。
ということで今回はビッグバンなのです。
話はギリシャから始まります。この宇宙の仕組みはどうなっているのか、最初に科学的に論じたのはギリシャの自然哲学者たち。そのとき確立された天動説はその後2000年近くも信じられることになったのです。
コペルニクス、ケプラー、ガリレオとお馴染みの科学者の尽力でようやく人々は地動説を信じるようになります。
その次はアインシュタイン。一般相対性理論で重力の本質がわかり始めると、なぜ宇宙は重量でひと塊にならないのか、という疑問が生じてきたのです。重力と反対の力が何かあるのでは、という疑問が出てきます。
それから宇宙を観測するための巨大望遠鏡に大きな貢献を成した人たち、各天文台で重要な観測を人たちがたくさん紹介されつつ、その結果の積み重ねが銀河や宇宙のサイズなどを次々明かしていきます。
そして宇宙が膨張しているのでは、という観測結果から、ビッグバンという考えが浮上します。それにまつわるたくさんの理論と論争、そしてそれを裏付けるための観測。今でもビッグバンを否定している学者もいますが、そうした積み重ねの結果、現在ではビッグバンが宇宙論の基本的な理論となりつつあるところまでが語られます。
科学好き、理系人間の方にはサイモン・シンの著書はおススメです。
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January 26, 2009
行動経済学という学問があるのだそうです。
この本を読む限り、限りなく心理学に近いのですが、それが経済的行動と結びついているのがポイント。この本では、人々が経済的に見れば不合理なのに、ついついそうしてしまういろいろな行動を紹介しています。そういった人々の行動はまさに予想通りの行動ということで、「予想どおりに不合理(Predictably Irrational)」というタイトルとなっているのです。
例えば、ある雑誌の定期購読の選択肢が次の三つあったとします。
1)ウェブ版だけの購読(59ドル)
2)印刷版だけの購読(125ドル)
3)印刷版とウェブ版のセット購読(125ドル)
この選択肢で多くの人は3)を選ぶのだそうです。ぱっと見ると、2)と3)では同じ値段なので、3)がお得なのは間違いありません。
冷静に考えると、別にウェブ版だけで構わないのかもしれないのですが、この三つの選択肢では3)がとてもお得なように感じてしまいます。
このとき、2)の選択肢は人々を3)に誘導するためのいわば「おとり」なのです。
このように人は、比べるものがあると良いほうに惹かれてしまいます。この気持ちを利用すると、人の選択を操作することがある程度可能になるのです。
上の話はこの本の冒頭のエピソード。これで私はかなり引き込まれました。
この後も、ある価値観が記憶に残っているとそれに影響される話、「無料」というだけで不合理な選択をしてしまうという話、ボランティアだと進んでするのに報酬をもらうとやる気を失う話、自分の持っているものを過大評価してしまう話、価格でモノの価値まで判断してしまう話・・・などなど、興味深い内容が盛りだくさん。
これだけのことに注意していれば、自分も合理的な消費行動ができると思うけど、そりゃやはり無理です。だって人間だもの。
逆に言えば、こういった人間の特性を理解して商売すれば、結構儲かるかもしれない、という気にもなります。
いずれにしろ、自分ではモノの価値を自分なりの価値観で正しく合理的に判断しているつもりでも、実は、提示のされ方、値段、付随するサービス、イメージ、その他もろもろの条件で、その判断は簡単に変わってしまうということを理解するのは大事なことかもしれませんね。
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January 04, 2009
詩の文芸誌であるユリイカが、何と「初音ミク」の総特集ということで2008年12月臨時増刊号を出しました。そう言えば、以前ユリイカの総特集を買ったのは、矢川澄子さんのときでしたっけ(2002年10月発行)。
DTMマガジンとかが「初音ミク」特集を組めば、それはもうソフトの使い方とか、歌わせるためのテクニック、といった内容になるわけですが、当然文芸誌が特集を組めば、その内容は全く変わります。
1年半ほど前に発売されたボーカロイド「初音ミク」が、その後ネットや音楽業界にどのような影響を与えたか、そしてそれが現代の社会的な流れとどういう関係にあるのか、そういうことを様々な識者が語っているわけです。
切り込み方は多種多様で、どれもが社会的、文化的視点を持っているから、今時の芸術潮流を俯瞰できるという意味でも、非常に面白い一冊。紅白で見たパフュームの口パク・ロボ声歌唱なんかも、ボーカロイドブームとシンクロしているように思いました。
ちなみに初音ミクにクラシックの声楽曲を歌わせることを「ミクラシック」とか「ボカロクラシカ」とか言うらしく、この本で紹介されている楽曲をニコニコ動画で聴いてみて、こりゃ面白い!と思いました。マタイ受難曲全曲製作に挑戦しているつわものもいます。
もちろん、その音楽にクラシック音楽の精神など求めてはいけません。しかし、そこには高度な音楽性と、センスあるパロディ精神に溢れた新たな芸術の種を感じます。
その雰囲気をうまく言い表している「ミクラシック」の記事に書かれている内容をちょっと長いけど引用。
初音ミクの声はデータベース化された人間の声が組み込まれているとはいえ、本質的に機械的なアンドロイドの声である。それは声であると同時に楽器でもある。そしてその特性は特にノンビブラートの長音やトリルにおいて効果を発する。最近は復古的演奏の隆盛にともないバッハの合唱曲などはノンビブラートで歌われることが多いが、それでも人間が歌う以上そこに音の揺れはどうしても入ってくる。ところがミクが歌う『マタイ』のコラールは、人間には不可能な有無を言わせぬ機械的なノンビブラートによってこの限界を容易に超え、衝撃的なまでの非情な透明さを実現する。
日本人のアニメソングの歌手がそのままの声で『マタイ』を歌うことはほとんど物理的にあり得ないことだが、そのあり得ない超人間的なことをミクは成し遂げる。そしてその一方意外なところで弱点や稚拙さをさらけ出しもする。「萌え」はこの未熟さから発生する。『マタイ』でも特にレシタティーヴ、それもイエスの語る場面においてその「どいちゅ語」は遺憾なく威力を発揮する。原曲ではバスが歌うイエスのパートを、ミクが低音で歌うだけでも異化効果は十分であり、人間が歌えば大いに感情が籠もるはずの最後の晩餐のシーンも明るくあっけらかんと流される。
しかしそもそも二十世紀後半から現在に至るクラシック音楽演奏の主潮流は、感情過多のロマン主義的表現を排除し即物的な表現に徹することを理想としてきたのであり、そこから見ればミクの『マタイ』もそれほど奇矯であるわけではない。実際これだけ異化しながら、バッハの音楽そのものは全く損なわれていないのは見事である。
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December 07, 2008
テンペストを読み終わってから、池上永一の他の小説を読んでみようと思い、前作のこれも大作である「シャングリ・ラ」を読みました。
舞台は50年後の東京。温暖化の影響で熱帯化しつつある東京に作られ続ける空中積層都市「アトラス」。反政府ゲリラのリーダー國子を中心に、森林化政策を進める政府との戦いを描いた長編小説。ありていに言えば、SFですね。
一見重厚な内容かと思いきや、雰囲気はほとんどラノベ。テンペストもそうだけど、主人公はスーパー美少女。後半のドタバタはもはや何でもあり。どんだけやられても、なかなか死なないとか、もう死んだと思ってたのに助かってたりとか。まるで、小学生向けアニメ的な匂いを醸し出しています。それでも細かい描写に無駄に薀蓄が詰め込まれていたりするあたりが、ファンタジーノベル作家の面目躍如と言ったところでしょうか。
ちなみに、帯にも書いてありますが、2009年テレビアニメ化決定だそうです。どこまで子供向けにするか、微妙なところではあります。(國子の同士は、スタイル抜群のニューハーフという設定だし)
個性的なキャラを作って自由に、はちゃめちゃに遊ばしている、というような書かれ方なので、ストーリー展開そのものが技巧的というわけではありません。
それより、私はこの小説の世界観の設定に感心しました。経済は排出炭素ベースに変わり、そのマネーゲームの描写が執拗に描かれます。それを読んでいると最近のデイトレーダーの株取引を想起します。この設定を考えるだけで、筆者はかなりの経済マニアじゃないかと思ってしまいます。
それから、積層都市アトラスの発想も面白い。下から第一層、第二層・・・と都市が段重ねで作られた建造物。自重に耐えられるように、材料は全て炭素材で出来ているという設定。一つの層だけで数百メートルの高さがあり、上の層に行くとかなりの高度になるので温度は低くなります。物語ではまだ建設中という設定だけれど、最終的に十三層まで作られる予定。
こういった科学的、政治経済的、社会的設定のアイデアが面白くて、それだけでも一読の価値はあるかもしれません。来年、放映するアニメを見るかは定かではありませんが。
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October 04, 2008
久しぶりに寝る間も惜しんで読みたいほどの面白い本。
上下二巻、計900ページの長編で、本も分厚く、購入直後はちょっとひるみましたが、読み始めるとほんとに止まらない。まさに帯に書いてあるとおりの「ノンストップ人生劇場」「ジェットコースター王朝絵巻」を堪能しました。
琉球王朝の最後の時代(明治維新前後)の王宮が舞台。女子禁制の政治の場に宦官と偽り、入り込んだ女性、真鶴の生涯が描かれます。
何がすごいって、次から次へと起こる事件や出来事の数々。これだけの長編小説であるにも関わらず、すごいテンポで事が進みます。いくら王宮という陰謀や嫉妬渦巻く場所とはいえ、これだけのことを本当に一人の人間が体験するのは不可能といえるくらい。これらの事件にドキドキハラハラしながら、ページをめくる指が止まりません。
話の設定だけ聞くと重厚なストーリーを想像するかもしれませんが、文体は非常に軽く、表現方法も今風。どちらかというとアニメ的なキャラ萌え小説と言えるかも。
この小説の特設ページがあるのですが、これを見ると、この小説の雰囲気がわかってもらえるかと思います。
何しろ面白い。史実をベースにしながらも、自由なファンタジーとして読むことができます。あるいは、大人の童話とでも言いましょうか。
大人の童話というからにはエロも手加減の無い残酷さもありますが、それ以上に知識欲を刺激させてくれる小説でもあります。沖縄という場所がこのような微妙な歴史を持っていた、というのはこの本を読んで始めて知りました。
ラストはそれほど大仰ではなかったけれど、なんだかとても泣けたのでした。
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August 11, 2008
AppleのCEOであるスティーブジョブズの生き様を紹介した本。いちおう、ビジネス書とか、リーダー論的な論旨にはなっているものの、あまりのジョブズの性格の無茶苦茶ぶりに、どう書いても彼個人の奇行歴にしかなっていません。
これまで、Apple製品の洗練されたセンスにはスティーブジョブズの大きな影響があると書きました。
そもそも、Appleなどという大企業において、CEOとはいえたった一個人の影響力がそこまで商品の隅々まで及ぶのか、という疑問を持つ人もいると思います。もちろん、普通の人間だったらそれは無理でしょう。世のたいていの会社は、社長が変わったくらいで、製品の洗練度が変わるなんてことは無いのです。
しかし、スティーブジョブズならそれが可能なのです。それはこの本を読んで痛いほどわかってきます。
正直、一消費者としてはApple製品の洗練度に感銘することはあっても、ジョブズを個人崇拝の対象にするにはためらわれます。
あまりに、人間として酷すぎます。何が酷いかは、本を読めばわかるけれど、しかしだからこそ、多くの才能ある人間を従えてあれほどの製品群を作れるのだということがわかるのです。彼らも、どんなに無理な要求でも、ジョブズの元にいるからこそ、世界を動かす仕事ができる、という気持ちがあるからこそやっていけるのでしょう。
作曲家で言えばワーグナーみたいな人なのかなあ、と思ったりします。借金を踏み倒したり、人の奥さんを横取りしたりする一方、自分の曲を演奏するための劇場を作らせるほどの辣腕ぶり。ワーグナー好き、いわゆるワグネリアンは、こういった行動力に憧れている人も多いのではないでしょうか。
これを読んで、スティーブジョブズは絶対日本には現れないだろうなあと感じました。
このような個人がプロジェクトを率いればみんな造反するだろうし、上のほうも難癖をつけて重要な仕事をさせないでしょう。だいたい、日本では苛烈な独裁者はたいてい暗殺されてしまうのです(織田信長とか、井伊直弼とか)。
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May 10, 2008
本屋大賞受賞作っていうので、思わず手が伸びてしまいました。
しかし、伊坂幸太郎という人、すごく活躍しているみたい。本屋大賞にも毎年ノミネートされていたようだし、何作も映画化されています。
基本的にはこの手のサスペンス、アクション+ちょっと社会派みたいのは私の守備範囲外なのだけど、さすが大賞を取るだけあって、非常に面白い。最初から最後まで次の展開が気になって読むのを止めることができません。
内容はざっくり言えば、首相暗殺の濡れ衣を着せられた男がひたすら逃げ回る数日の記録、といったところ。何しろ逃げ回るっていうのがこの小説の基本的な設定なので、最後までドキドキハラハラの連続。映像でなく活字なのに、こんなに逃亡しているリアリティが伝わるってのが、この作家の筆力なんでしょうね。
もう一つ、小ネタや伏線の張り方なんかもこの人の面白さの一つ。
そういう意味では非常に技巧的。読んでいて、あれそう言えば、と思い返し、前のページをめくることが何度もありました。こういう技巧が常にいいわけではないけれど、長大な交響曲の堅牢な構築性と共通のものを感じます。
そういうのも活字好きの人からマニアックに支持されている要因なのかもしれません。
私の予想では、きっとこの小説も数年の間に映画化されるんじゃないでしょうか。いや、それを狙って書いてるような気さえします。
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April 29, 2008
話題のベストセラーを読みました。
「生物とは何か?」の問いに対して、プロローグの中で「自己複製を行うシステム」というのが二十世紀の生命科学が到達した答えだった、といきなり書いてあります。私など、「利己的な遺伝子」を読んだとき、そうかあ、自己複製が生命の本質だったんだ、とえらく感動したわけですが、この定義があっさり相対化され、そこが本書のスタートポイントになっている点でいきなり引き込まれてしまいました。
そういう意味では、本来この本の内容は非常に専門的なのだけど、それを補って余りある文章力で綴られているというのも、この本のもう一つの魅力。
章立てしてあるにも拘わらず内容が連続していたり、風景や街並みの描写がとても詩的だったりするのはほとんど小説のように思えるし、学術的内容の他に研究者のドロドロした人間模様などの描写が挟まっているのも、読み物としての面白さに繋がっています。
個人的には、率直に言って、いささか文章の描写がキザっぽい感じも受けて、学者として文章的なレトリックに浸るのはいかがなものかって感じもありますが、それゆえに楽しく読めたという側面があることは否めません。
それはともかく、著者に言わせれば、生命とは「自己複製」だけではなく、「動的平衡」こそその本質では、と問いかけます。
「動的平衡」とは、私流に解釈すれば、生命とは物質の集まりなのではなく、物質を制御するシステムであり、物質はそのシステム内をただ駆け抜けているだけなのだ、ということなのです。
この感覚、なかなか哲学的で面白い考察だし、まるで「万物は流転する」を地で行くような発想ですね。
生命現象全般を我々が理解するためには、まず生命現象そのものに何重ものレイヤーがあって、生命とはその夥しい集積の上で奇跡のように成り立っているのだと感じる必要があると思います。恐らく、その一つ一つのレイヤーは全て物理法則で解決できるだろうけど、それが積みあがったときに発現するシステムとは、物理法則を遥かに超えたとてつもないスゴイものなんです。
だからこそ、今後その一つ一つのレイヤーが研究され、そして新しい発見があることを、一科学好きとしてはワクワクしながら見守っています。
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April 21, 2008
最近、テレビでよく見る外タレのマーティ・フリードマン。彼はその昔、メガデスというメタルバンドでギターを弾いていたのですが、日本好きが高じて、ついに日本に移住してしまったという経歴。今は日本で音楽活動をしています(石川さゆりとコラボしてたりして、ちょっとアヤしいけど)。
もちろん、私はメガデスなんて聞いたこともなかったけど、外国人から見た日本の音楽シーンを語るこの本、なかなか面白いです。
日本人はすぐに欧米文化を礼賛し、自分たちの文化を卑下するけれど、マーティはそんな人たちに、そんなことは無いよ、もっと日本文化に自信を持って!と語りかけます。この本は、基本的に某雑誌でのマーティの連載が元になっていて、彼の視点から見たJ-POPの面白さが具体的な曲をネタに書かれています。
いくつか、面白いフレーズなど。
「日本の音楽って、洋楽のテイストを取り入れるときに、もろにマネするんじゃなくて、一番おいしいところだけを選んで、それを絶妙なバランスで歌謡曲のメロディーに取り入れるのが得意じゃん。」
「ギターの雰囲気は昔のローリングストーンズみたいなアバウトなロックなのに、いきなりジャズのコードが入ったりするのはすごく日本的な現象だよ。」
「日本の女性シンガーは高音を叫ばないからね。たぶん地声が高いからです。それに音程が少しズレているヘタウマが多いし、低いパートはあまり歌わない。そこが僕は大好きなんだけど・・・」
「アメリカの音楽シーンだと『メタルバンドはメタルだけ』『R&BシンガーはR&Bだけ』っていうふうに、ジャンルの壁が日本よりも厚いし高いんだよね。アーティストが別のジャンルに挑戦したいって思っても、レコード会社がなかなかそういう冒険を許してくれない。」
などなど、考察もなかなか音楽的。
外人が日本文化を常にそういう目で見ているとは、もちろん思いません。
というか、マーティ自身、あまりに日本的な価値観に染まりすぎている感じがします。ロリ系女性シンガーのキュートさとか、正統派よりも猥雑でごった煮的な文化とか、庶民的なアーティストの態度とか、そういうのが好きなんですね。
それでも、アメリカが絶対なんかじゃなくて、アメリカにもアメリカなりに、日本にも日本なりに面白いものがある、そういう当たり前のことを気付かせてくれる一冊でもあります。
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October 06, 2007
前も一度さらっと書きましたが、デアゴスティーニの週刊「古代文明」を購読中。
これってよくよく考えると、毎週560円、全100回とすると、何とトータルで\56,000。特製バインダー代まで入れたら、6万円近い買い物です。普通なら、6万円の古代文明事典なんて買いはしないわけですが、週刊というスタイルだと毎週目を通せるし、何だか許せてしまうんですね。デアゴスティーニ恐るべしです。
しかし、それにしてもこの週刊古代文明、なかなか面白いんですよ。
古代文明っていうのは、当然ながら歴史としてわかっていることもあるし、わかっていないこともあります。史実なのか、伝説なのかわからないこともあります。
その結果、このシリーズは、歴史でもあり、考古学でもあり、科学的側面もあり、その一方で神話もあり、オカルトもあり、今に伝わる料理や風俗の発祥の話とかもあり、内容が非常に多岐にわたっています。前週では、ダーウィンまで出てきたし(古代というよりは、もはや地質時代の話…)。
その中で個人的に好きな地方の古代文明というと、ヨーロッパ系(ギリシャ、ローマなど)、メソポタミア、中南米(アステカ、インカ)といったところでしょうか。ヨーロッパ系はまあわかってもらえると思いますが、普通古代文明というとエジプトが有名。でも私的には、エジプトよりメソポタミアが好きですね。
人類史の中で、恐らく最も早く発展を始めたのが、このメソポタミア地方。農業や牧畜の開始も、文字の始まりも、国家の始まりも、かなりの部分でメソポタミアが先行しています。特に、楔形文字を使い始めたと言われるシュメール人は、その後の旧約聖書的世界と重なることもあり、結構興味を持っています。
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September 30, 2007
脳科学の最前線について、中高生に講義した内容をそのまま収録した、というのがこの本の記述方法。
内容は正直言って、かなり深いです。それが、講義という形式のため、しゃべり口調になっていて柔らかいので、何となく頭に入ってきやすい。それに、話もときどき脱線していて、あたかもその場で講義を聞いていたような気分になったのが面白かった。そういった本の構成のうまさが良い方向に作用したように思います。
講義を受けていた中高生がやけに理解力が高いのは、講義をした学校のせいなのかはわかりませんが・・・
いくつか興味深いポイントはあるのだけど、身体が脳のあり方を規定している、という考え方は、重要な点だと思います。確かに脳が身体の動きを制御しているのだけど、それは逆に言えば、身体からの刺激が脳を働かせているとも言え、脳はそれに見合うように成長していくわけです。
ここで池谷氏が示唆している話が面白い。神経細胞をコンピュータでシミュレーションすれば人工知能のようなものは出来るかもしれない。しかし、人間と同じ身体を持たないコンピュータ上に作った意識は、人間には理解できないような意識が出来てしまうかもしれない、といった内容。
私たちは、自分たちが頭の中で考えている内容を、自由意思などといって、全て自分の意識で制御可能だと思っているわけです。ところが、そういった判断の一つ一つが実は生物としての基本欲求から来ていたり、脳内のあるランダムな要素で説明できる可能性があるのです。
そういう意味では、自由であると思っている「思考」までも、人間という枠組みから逃れることは出来ないのだと思います。
科学者論とか、研究論にまで話は脱線したりして、理系人間にはかなり楽しめる本です。科学は宗教かもしれない、というのは私も大いに同意。著者の学問に対する姿勢、研究ジャンルを超えた探究心には強く共感します。
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July 08, 2007
一言でいえば、史実を元にした壮大な歴史ファンタジーって感じでしょうか。
ちなみに、題名が類似している澁澤龍彦「高丘親王航海記」ですが、やはりこの小説が書かれるきっかけになっており、この作者のリスペクトの対象となっているようです。何といってもこの小説のラストに、「高丘親王」も登場してしまいます。まるで、「高丘親王航海記」の続編のように・・・
さて、この小説、安徳天皇が題になっているけれど、肝心の安徳天皇は琥珀の中で眠ったままという設定。この安徳天皇が眠る琥珀の玉をめぐって、様々な人物が登場します。
第一部は、源実朝編。源実朝のお伴をしていた近習の想い出語り、というスタイルで文章は紡がれます。壇ノ浦の海に散った安徳天皇は実は琥珀の玉の中で眠ったまま生きている、という設定。この琥珀の玉を、源実朝が保護していこうとする様を描きます。しかし、史実どおり、実朝は甥の公暁に暗殺され、琥珀の玉は遠く中国に運ばれるところで一部が終わります。
第二部は、マルコ・ポーロ編。今度はマルコの視点から描かれ、三人称スタイルに文体が変わります。元のクビライ・カーンに仕えて面白い話を聞かせる務めを負っているマルコ・ポーロ。そのマルコが、不思議な琥珀の玉の話を聞き、それを確かめるため元に最後の抵抗をしている南宋に赴きます。そこでは、南宋の幼皇帝が琥珀の安徳天皇と夢の中で交流しているのでした。しかしその皇帝も、安徳天皇よろしく、元の水軍の前で入水することになります。・・・そらに琥珀の玉の行方を追って、マルコはラストの不可思議で壮大なシーンを体験するのです。
歴史上の有名人物が、安徳天皇の琥珀の玉をめぐって、様々に思案し、行動していく様子がとても面白い。そういえば、ちょっと前の大河ドラマ「時宗」を思い出しました。あのときも、マルコ・ポーロが出てきましたし。
個人的には古文がちょっと苦手なんですが、特に第一部、「吾妻鏡」や「金塊和歌集」が、何の解説もなく引用されているのは、正直読むのがしんどかったです。
ただ、そういう非常に手の込んだ小説世界が本当に素晴らしくて、この伝奇的なファンタジーのとりこになったのは確かです。
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March 31, 2007
とても分厚い本を、一月かけてようやく読了。
どうしても翻訳モノは素直に頭に入ってこなくて読むのに疲れますが、内容はとても面白かったです。「金と芸術」というのは邦題であって、原題は訳すと「なぜアーティストは貧乏なのか?芸術という例外的経済」となります。
要するに、現代における芸術活動全般に関して、経済的な観点を中心に分析をしていく、というのが本書のスタイル。
欧米の社会環境中心の話なので、日本では当てはまらないような描写も多々あるし(特に政府や公機関と芸術の関係とか)、いささか話がくどくて若干論旨の展開に無駄があるような気もします。
そういう難点は感じつつも、芸術をめぐる社会や経済の動きは、基本的にどの国でも、どんな人でも変わらないんだなあということを実感。
著者は、まず芸術は神聖なものであり、自律的で表現の自由がある、と人々が考えていることの総体が神話化されている、と言います。そのような傾向を持つ芸術に対して、あからさまな市場経済を適用することに多くの人が抵抗を持つわけです。しかし、それは結果的に非常にいびつな独特の経済を生み出すことになるのです。
また、芸術家になりたがる人々の傾向、そしてそれゆえに貧乏にならざるを得ない彼らの生活について言及します。世の芸術家のうちのほとんどは全く認められないまま活動を続けます。なぜなら芸術に身を捧げるということが彼らにとって人生を懸けても良いくらい、崇高な使命だと感じているからです。しかし、それは経済的な観点からみれば単に搾取されているだけで、経済理論を無視した特殊な行動にも取られてしまいます。
内容は盛りだくさんなので書き出すときりがないのだけど、芸術をめぐって世の中がどのように動いているのか、そういうことを客観的に知ることは芸術に従事するものにとって役に立つことだと思います。そういうことに興味がある方はおススメ。
クリエータたるもの、もっと狡猾であらねばならないと思う私にとって、ためになる一冊でした。
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February 01, 2007
「となり町戦争」でデビュー&いきなり大ヒット&映画化、で一躍有名になった三崎亜記の長編第二弾を読みました。
やっぱり町か、と何となくネタの近さが気になりつつも、読んでみると、こりゃ思いっきりSFですね。30年に一度、町の消滅が起こる、という奇想天外な設定は、確かに前回の「戦争事業」という奇抜さに近いかもしれないけど、戦争が社会系に向かうのに対し、「町の消滅」は科学系に向かいます。
正直、私はSFに対してアンビバレンツな感情を持っており、大好きな小説もある反面、だからSFってやだなあ、と思うこともあったりします。今回はというと、非常に上質なSFで、私の中のSFのやなところが無いのがとても良かった、というのが率直な感想。
全体は、7つの章から構成され、それぞれが独立した小さなストーリーとなっています。したがって、物語としては一つなぎに連続に進んでいくわけではありません。
登場人物は限られているのですが、各章ごとに主人公が異なっていて、通して読むと、同じ人物が主人公になったり脇役になったりして、ちょっと違和感は感じました。ストーリーも全体としての起伏がないので、一般的な小説の読後の爽快感を感じるのは難しいでしょう。そういう意味で、決してこの本、万人受けしないと思います。
何が面白いって、この世界観の半端じゃないフィクション性。「月ヶ瀬町」といった地名が出るのに、舞台が「日本」であるとは決して書かれない。つまり、この地球上の話ではない、というくらい丹念に現実とのつながりを避けています。まるで、同時に文化が発展している別次元のパラレルワールドを描いているかのごとくです。
だから、この世界で聞かれる音楽や風俗も全て架空のもの。そういうのに徹底的にこだわり、架空の用語を造語していくセンスがまた鋭い。
もちろん、30年に一度町が消失する、というあり得ない設定を、小説内であたかも常識であるように書くためには、このような徹底的なフィクション化が必要だったということなのでしょう。こういうディテールの細かさには共感します。
ただ、過度なフィクションは読む者を困らせます。一つ一つが全くわけのわからない単語で、読み進めるのに難儀する場合もありました。このあたりは賛否のわかれるところかもしれません。
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January 07, 2007
第18回日本ファンタジーノベル大賞受賞作品。
帯にも書いてある通り、古き中国を舞台に、金持ちの息子であるニート青年が、美少女仙人と不思議な旅をする、というお話。
こういった大まかな設定だけ見ると、ラノベっぽく見えるけど、読んでみるとかなり本格派。中国史に生半可でない薀蓄が述べられるなど、いわゆるファンタジー小説での博学傾向をしっかり持っていて、ストーリー全体に重厚な響きを与えています。文章は決して固くは無いのだけど、歴史小説を読むような格調の高さがあります。
そういった中で、気弱なニート青年が仙人である少女に少しずつ恋心を覚えるようになる、というのがこの物語の大きな流れ。少女が圧倒的な力を持つ仙人であるにも関わらず、少女のようなしおらしい態度を取るようになっていく辺りに微妙な味わいがあります。
何でも出来てしまうスーパーマン的な力を持っている仙人が、人間的な世知辛い事情でやはり行動しなければならないナンセンスさもちょっと笑えます。
ただ、仙人は状況に応じていろいろな姿に形を変えられるのですが(老人にも変身するし)、少女であることもその一変形に過ぎないわけで、それだけでこの仙人を本当に少女だと感じる気持ちが萎えてしまったのも事実。そう思うと、若干後半の流れに無理があるようにも感じました。
全体的には渋澤龍彦の「高丘親王航海記」のような雰囲気があって、なかなか楽しめました。
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September 17, 2006
500万年後、1億年後、そして2億年後、地球上にはどんな生物が住んでいるのだろう。
この疑問に対して、十分な科学的検証を用いながら、未来の生物というものを空想してみたというのが本書の内容。一見、科学読み物のように見えて、そこに書かれているのは全て実在しないものであるわけで、これはある意味、大掛かりなファンタジーなのだと思いました。
この本には、一切、人類は描かれません。あくまで一つの動物種としての人間は、多くの動物と同じように絶滅しているのが前提。私たちが未来を描こうとするとき、無意識のうちに必ず人間の未来を考えるものだと思っているのだけど、そこから離れて考えると、何とスリリングでダイナミック、そして夢に溢れた未来があるのでしょう。逆説的だけど、そもそもこの本のそういった基本姿勢は、科学的にすごく健全な感じがします。
あくまで科学的、というのがミソで、時代が進むほど、現在からは想像もつかないヘンテコな生物が出現します。最終章の2億年後がやはりスゴイ。地球環境の激変で、脊椎動物はほぼ絶滅し、巨大化した昆虫が活躍しています。シロアリの末裔、テラバイツは巨大な巣を作り、その中で藻類を栽培します。
また、陸でも海でもイカが勢力を振るいます。体長20メートルの巨大イカ、レインボースクイドが身体の色を変えながら海の王者となる一方、陸に上がったイカが熱帯雨林の中で、体重8トンのメガスクイドへと進化します。
コンピュータグラフィックによる挿絵もたくさんで、空想上の動物がたくさんのイラストで楽しめるのも、本書の楽しさ。想像力への新しい刺激が欲しい方に最適。
結構流行っているようで、公式サイトも充実しているようです。
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August 05, 2006
音楽をキーワードに、人類の進化について考察を進めているというのが本著の内容。はっきり言ってヘヴィーですが、細かく読むと、刺激的内容に溢れていて、自分自身の人間観、音楽観にいろいろ影響を与える面白い本でした。
普通の動物と違う「人間」の性質を調べるには、もちろん脳科学のようなアプローチも重要ですが、実は進化心理学的なアプローチというのが、とても有効なのです。つまり、普通の動物から今の人間に進化してきたという事実は、人類が進化してきた過程で、人間的な形質が付加されてきた歴史の連続に他ならず、それを調べることが人間らしさの解明に近づくと思われるからです。
つまり人間らしさ、というのは、ほぼ心の問題です。心以外の機能は、人間は他の哺乳類とそう大差ないのです。この本では、特に音楽に照準を当て、この心の問題と音楽の関係を一つ一つ解き明かそうとしています。
第一部では、音楽が人に与える影響を論じ、脳障害者の例より、言語と音楽を扱う脳の領域の分布を探します。また、音楽が感情とどのような関係にあるか等が書かれています。
第二部は、進化心理学的アプローチで、猿人と呼ばれる状態から、ネアンデルタール人、そして人間(ホモ・サピエンス)と続く進化過程と、そこで発展しただろうと思われる人類のコミュニケーション、そしてその手段について考察します。
著者の意見は、人類には言語以前に音楽に非常に似た原始言語(本著内では「Hmmmmm」と呼ぶ)があったのでは、ということ。そして、そこで獲得された遺伝子が人間の脳内に存在していて、それが今の人間の音楽への嗜好と関係している、と論じています。特にネアンデルタール人は、そのような原始言語を発展させており、今の人間より音楽能力が高かったのでは、と述べています。
なるほど、これは面白い、と思わせる箇所は多数あります。そもそも、言語より音楽のほうが、よりプリミティブなコミュニケーション手段だったというのは、大変楽しい推理で、私たちの音楽観にも影響を与えるのでは、という気がしています。
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June 13, 2006
別に本物の数学の論文を読んだわけではありません。見ればわかりますが。
これは、フェルマーの最終定理に挑戦した数学者たちのドラマを描いたノンフィクションです。
数学だなんて難しい、と思う必要はありません。数式は多少は出てきますが、その部分に関しては中学程度の学力で分かる程度。それをこの著者サイモン・シン(訳:青木薫)は、素人にもわかるようにうまく説明しています。
何といっても、三百年以上もの間、解かれることのなかったこの定理に、どんな人たちが挑戦し、そして敗れ去ったか、そしてどうやってついにこの問題が解かれたのか、その過程を読みながら追体験していくことはスリリングだし、謎を解くために一生をかけた男たち(女性学者もいましたが)のロマンがこの本からひしひしと伝わってくるのです。
私も数学の世界は詳しくないけど、へぇ~と思うような事実もたくさん知り、勉強になりました。登場人物もなかなか魅力的です。ピュタゴラス、ケプラー、オイラー、ゲーデルといった有名人も出てきます。決闘で死ぬ前の晩に、自分の研究を一晩でまとめて手紙を残したガロアとか、女性にふられて自殺をしようとするがフェルマーの最終定理のアイデアを思いつき自殺を延期したヴォルフスケール(結局、自殺した彼はその遺産をフェルマーの最終定理を解いたものへの懸賞金とする遺言を残す)といったドラマティックな逸話の数々。これだけでも、十分楽しい読み物です。この物語の最後、アンドリュー・ワイルズが1994年に最終定理の証明を完成するくだりは感動のクライマックスです。
実は、そのような大問題であるにも関わらず、フェルマーの最終定理というのは非常にシンプルな問いです。xのn乗+yのn乗=zのn乗(nは3以上)を満たす、x,y,z の整数解は存在しない、というもの。
正直言って、ワイルズが証明した筋書きの説明については全くわからなかったけど、素数の話とか、パズルの話とか、数学的な小ネタに満ちているのもこの本の面白さの一つです。
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March 25, 2006
2年前に日本ファンタジーノベル大賞を受賞した平山氏の、この本が受賞後第一作となります。前作の感想はこちら。
受賞作である前作は、なんとも陰鬱でエログロ感漂う雰囲気だったのですが、今回はまったく違います。高校生のプラトニックなラブストーリー。文体も何となくポップ。前作は、会話の括弧をあえて使わずにべたに会話の描写をしていましたが、今回は高校生の軽い会話が括弧付きで書かれるので、ページ全体に空白部が多く、すらすらと読めてしまいます。この本なら3~4時間コースってところでしょうか。
実は、この作家のブログが結構面白くて、この本もついついその流れで買ってしまったのだけど、いやなかなか面白かったです。
忘れる、すなわち、記憶を失う、というのは、一種の恐怖なのだと思うのです。
私たちはささいなことをどんどん忘れて年を取っていきます。自分は忘れていても、他人が覚えていたり、あるいはその逆もあったりします。もちろん、思い入れがあるほど、物事は忘れないはずです。だからこそ、大事なものだと思っていたことを自分が忘れていたりするとショックもでかいし、逆に自分が大事だと思っていることを他人が忘れたとき、その意識の差に愕然とすることもあります。この本はそんなささいな日常の恐怖というものを拾い上げ、特殊状況に仕立て上げて、「忘れる」というテーマを多面的に表現しています。
もっとも、やはりこの小説の面白さは、ちょっぴりホロリとさせられるピュアな恋愛の行方にあるのかもしれません。そういう意味では結構売れ線を狙っている感じもします。ドラマ受け、映画受けしそうな雰囲気ありますしね(全体的に映像を意識している感じがする)。
それでも、私はこの作家が基本的に持っている「切なさ」の表現みたいなのが好きです。登場人物の何気ない所作や、言葉にリアリティがあって、それを支えている感性がなかなか私のフィーリングに合う感じがするのです。
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February 20, 2006
ジャレド・ダイアモンド著の最新作、またしても買ってしまいました(前作の感想はここ)。今回は、古今東西の文明を例に挙げ、それらの文明がなぜ崩壊したか、あるいはなぜ生き延びたか、を考察するという内容。これまた、非常な分量で、昨年暮れから読み始めたのだけど、途中でペースダウン。そして、ようやく今読み終えたところ。最初のあたり、もう忘れてます。^^;
そんなわけなんで、面白かったトピックの紹介だけ。
イースター島といえばモアイ像。最初にイースター島に西洋人が訪れたとき、わずかな島民しかいなかったのですが、そこにそんな石像があるということでミステリーとして良く語られます。しかし、実際にはイースター島にはそれなりの文明があったのだけど、環境破壊で文明が崩壊したことが紹介されます。
モアイ像は、まさに文明崩壊の断末魔の叫びみたいなもの。像は、宗教的な意味合いもあったのだけど、部族の勢いの象徴でもあったようなのです。そして、資源が枯渇する→人々の争いが激化、という過程で、それぞれの部族が逆に争うようにモアイ像を作ったり、破壊したりしたそうです。文明が崩壊した後、その像だけが残されたというわけ。
その他、グリーンランドでイヌイットと争い敗れたノルウェー人の文明。そして、古代史から忽然と姿を消したマヤ文明。それらも、文明を存続するのに必要な資源を人々がコントロールすることが出来なかったことが語られます。
現在でも、ルワンダ、ハイチ、中国、オーストラリアでどのような問題が起きているか、が紹介されます。オーストラリアもかなりやばい状態なんだということを初めて知りました。
要は、我々は環境問題をクリアしなければ、今後生き抜くことは難しい、ということを作者は言っています。
古代文明が崩壊するのは、閉ざされた環境で環境破壊が起こるからですが、今の時代グローバル化が進んでおり、世界規模で人の行き来もあります。そういう意味では、地球自体がその閉ざされた環境であるとも言えるのです。つまり、地球に住む我々が今の環境破壊を止めないと、地球文明が崩壊し、全員が死に絶えてしまうわけです。
内容はかなり科学的であり、信憑性は高いものと思われます。なるほど、これは大変な状況なのです。
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December 11, 2005
題名からは想像も付きませんが、一種の音楽小説。
80年代始め、テクノが流行り始めた頃、奇妙なメイクと衣装、エキセントリックなパフォーマンスで、NYで注目を集め始めたネモ・バンドにまつわるストーリー。主人公シュウが、このネモ・バンドに憧れ、そしてそのバンドの一員としてパフォーマンスを始めます。バンドのメンバーとの関係、葛藤を経ながら、ミイラ取りがミイラになる劇的な結末を迎えるのです。
面白いのが、このバンドのリーダー、クラウス・ネモは女声の音域までを持ち、ライブでもオペラアリアを歌ってしまうという設定。小説中にもカストラートについて言及する箇所があるのだけど、一見ロック、ポップミュージックを題材にしながら、随所でクラシック的な(あるいは古楽的な)題材が出てくるのが興味深いのです。(山之口氏のデビュー作では、バッハのオルガン音楽においても相当な薀蓄を垂れていたし・・・)
しかし、それにしても、この小説は何かしら得体の知れない臭いを持っています。この作家からは決して、デカダン的な要素は感じないのだけど、この小説が描く世界は、耽美的で、退廃的、そして背徳的。テンポの良い文体は、主人公の真っ直ぐな若者像を現しているのに、その内容のドス暗さとのギャップに戸惑います。純朴な青年がヤクでトリップしまくるんですよ。
しかし、その陰鬱さも、後半ミステリ風になっていく過程で薄れ始め、最後には落ち着くところにきっちりと落ち着くというのが、この作家のソツのなさなのでしょうか。そのあたり、実にうまいなあと思います。
最後の盛り上がりシーンで、バックに音楽が流れている様子は、まるで映画、演劇的。ポーの「アッシャー家の崩壊」も思い起こさせます。
どうも、ここに出てくるネモというアーティストには、実在のモデルがいるようです。その名も「クラウス・ノミ」。ネットで調べてみると、この小説では、現実のモデルが歩んだ人生をうまくデフォルメして利用しているのがわかります。確かに、いくら創作でも、いきなりデビッド・ボウイが小説内に出てくるなんて大丈夫?と思いましたから。
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December 06, 2005
第17回日本ファンタジーノベル大賞受賞作品。
まず、そのタイトルがインパクトでかいです。「金春屋」は”こんぱるや”と読みます。人の名前だと想像は出来ますが、遠い異国が舞台なのかと思いきや、時は近未来の日本、しかも江戸時代の江戸を再現した街が舞台となると知ってまたびっくり。ゴメスの由来は「馬込寿々」という名前の真ん中を取ったあだ名で、これはなかなかのネーミングセンスだと思います。
設定としては、とある実業家が二十世紀初頭、「江戸」を建設し、そこでは文明から何から江戸時代を模した生活を始めます。その江戸国は日本から独立を宣言します。しかし国際的には認められず日本の属領となったのですが、日本側の好意で、独立国家として扱われることになるのです。
そのような大きな舞台装置がまず何といっても面白い。設定部分はさらっと終わるのでいろいろ疑問は残るとしても、近未来なのに電気も車も無いという落差はなかなか滑稽です。しかし、話はその大きな舞台装置そのものには向かいません。この江戸で発生した「鬼赤痢」という疫病をめぐって、金春屋ゴメスを中心とした長崎奉行所が調査を進め、これが人為的なものであることを突き止め、最後に犯人を見つけるというのが基本ストーリー。
物語が動き始めると、設定そのものの面白さから離れ始め、一般的なドタバタエンターテインメントと同じフォーマットをなぞり始めます。それはそれで心地良いのだけど、例年の受賞作品から比べると、いささか独創性に劣るように感じます。
出来れば、自然指向と先端医療の二つの反するベクトルでの悩みをもっと掘り下げると、深みのある小説になるのではないか、そんな気がしました。
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November 13, 2005
超分厚い文庫本、二月近くかけてようやく読み終えました。私の場合、読書が長期戦になってしまうと、寝る前に朦朧としながら読み続けるので、なかなか内容が頭に入らずさらに長期戦になってしまいます。この本もなかなか面白かったのだけど、あまりに長くて、今となると最初の方、あんまり覚えてなかったりして。
R・A・ハインラインによるSF小説であるこの話は1961年に書かれた、この分野では古典と言われても良いような作品。後書きによると、60年代にこの小説はバカ売れして、ヒッピーの聖典とも言われたとか。確かに、SFとは言いながら、作品に現われるガジェットや、通信などの方法に古さを感じてしまうのは致し方はないでしょうが、そのあたりを責めるのはルール違反でしょう。
ストーリーは、火星人によって育てられた人間が地球に戻ってくるのですが、その男スミスを巡って、世界連邦政府の対応や周辺の人々との確執が始まります。いったんは老作家のもとで暮らすことになったスミスですが、今度は彼が新興宗教まがいのサークルを設立し、そして最後に・・・となるお話。
作者が言いたかったことの一つが、同じく有名なSF小説、「ソラリス」と共通しているような感じを受けました。つまり、全く未知の生物というのは、未知の感覚と、未知の文化と、未知の倫理観を持っているという点です。ソラリスよりはよほど人間には近いのですが、だからこそ人間文化との違いを際立たせることによって、逆に人間が常識だと思っていることを、意識の俎上にあげた上でひっくり返してしまおうという、そんな意図を持った作品。
おかげで、かなり人間にとってのタブーに近いところに踏み込む箇所があります。
例えば、火星では死んだ者を皆で食べるという習慣があることになっている。もっとも火星人は肉体がなくなることは死とは言わず、この小説はでは分裂と呼び、その後長老として精神的に人々の心の中に住むことになるらしいのです。
また、スミスは後半で宗教団体のようなサークルを作るのですが、そこは何というか、いわばフリーセックスのような巣窟となっています。水を分け合うことで水兄弟となり精神的に結びつくことを和合生成と言うのですが、火星人には性がなく、地球人同士で同じようなことを行うのに最も適した行為とスミスが考えたのがセックスだということになるわけです。
恐らく、このようにある閉鎖的な集団で濃密な精神のつながりを持つような生き方、に当時のヒッピーが強く共感したのかなとも思えるし、事実、この小説が発表された後、同じような宗教団体を作った人も現われたとか。
もう一つ、面白いネタとして、この小説の中にグロクする、という動詞が随所に現われます。グロクは火星語で「わかる」とか「認識する」とかに相当するらしいのですが、ハインラインは敢えて造語としてこの言葉を、小説の中で頻繁に使用しています。そしてついにこの言葉、辞書にも載ってしまったらしい。最近では、アップルのスティーヴ・ジョブスが演説の中でこの言葉を使った、とかいう記事も発見しました。
そんなわけで、SFといいながら60年代アメリカに大きな影響を与えたこの本、なかなか秀逸です。SFというよりは、人間の常識とは何か、そういった本質的な疑問を私たちに投げかけます。それと同時に、政治家、宗教家たちの言動への風刺に満ちているのも面白いという、社会的な楽しみも備えています。
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September 17, 2005
音楽そのものについて考察する場合、これまではどうしても哲学的、社会学的、心理学的といったような人文系アプローチが主でした。しかし、こういったアプローチは論ずる者の嗜好が強く反映されてしまったり、科学的な検証が必要な場合に不適当なデータ処理をしてしまうなど、問題が多かったのは事実です。また、芸術は崇高なものであり、その神秘を剥ぐことに抵抗を感じる、というような芸術至上主義が音楽愛好家には根強く存在し、音楽そのものの研究が偏見無く行われることは難しいのは確かでしょう。
この本では、まずそういった現状に対し、強い口調で非難します。そして、今こそ科学的視点から音楽を解きほぐそうと主張します。
実は著者の方向性は、私の感覚とおおむね同じです。私は、いつでも真理を知りたいし、適当な段階で神様を持ち出してそれで良しとはしたくないのです。その結果、この著者は進化心理学に興味を感じ、その学問が人間と音楽について何かしらの解答を引き出してくれるのではと期待しているようです。私も以前、進化心理学について、こんな談話を書きました。
そんなわけで、この本、音楽の価値をいかに「科学的」に解明するのか、それを論じた本なのです。
著者は音楽が人間の生存にとって、無くても良いもの、などではなく、人類進化の過程で必要があって生まれたものだという考えを持っているようです。そして、その考えを証明するために、様々な研究を続けています。
ただし、中盤以降、本の内容は脳科学中心になり、正直かなりしんどくなりました。
それでも、なかなか面白いネタはありました。例えば、男性ホルモンの一つであるテストステロンは、音楽と非常に関係が深いらしいのです。男性の場合、テストステロンが多いほど(男性的であるほど)音楽の能力は低くなり、逆に女性はテストステロンが少ないほど(女性的であるほど)音楽の能力は低くなります。つまり、一般的に、音楽家の男性は女性的でおっとりしていて(そういえばカマっぽい人も多いかも^^;)、女性は男勝りであることが多い、ということになります。さて、皆さんは納得しますか。
進化心理学の話が出た割りには、本のほとんどは脳科学を扱っており、若干肩透かしを食らった気分でしたが、全体的にはなかなか面白い本です。この分野の研究がすすめば、いずれ何故人は音楽に熱狂するのか、あるいはどんな音楽が人々を熱狂させるのか、そういったことがわかってくるのかもしれません。
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August 25, 2005
かなり厚めの文庫本で、読むのに随分時間がかかってしまいました。
この本、主人公が失われた死海文書の捜索を行うというのが基本的なストーリーなのだけど、ミステリー仕立てながら、ついにキリスト教の誕生の秘密にまで到達してしまうという、とんでもない小説。これを若干27歳の女性の哲学者が書いたというのも驚き。
殺人事件も起きるから、まあミステリーと言えるのだけど、どちらかと言うと途中から読者の興味は、失われた死海文書にいったい何が書かれていたのか、ということに移ってきてしまうのです。そして、どうもその失われた古文書には初期キリスト教に関することが書かれていて、死海文書研究チーム、考古学者、雑誌記者、ユダヤ教のラビ、そしてローマの信仰教理省、といった面々が、入り乱れつつその古文書の行方を追っていきます。
といっても、話自体は全然ドタバタじゃない。主人公によるユダヤ教の神秘体験とか、神学的な討論とか、クムラン、エルサレム等の地から沸き立つ霊感の描写とか、そういうことに執拗にページを費やしていて、その感覚を楽しむためにはそれなりにキリスト教、ユダヤ教の知識が必要なのも確か。そして、それゆえにキリスト教圏でこの本が結構ヒットしたというのも頷けます。
何といっても、この作者、饒舌です。ストーリーの流れよりも心理描写や風景描写に異常なほど言葉を注ぎます。途中で主人公は女性雑誌記者に対して恋愛感情を持つのですが、この恋愛感情の描写にも相当力が入っています。それにしても女性作家が、男性の恋愛感情を綿々と綴ったり、宗教的修行にとって女が邪魔であるといった内容を延々と書いたりしているのは奇妙な感じがします。よほど、客観的に世の中を見る術が身に付いているのか、それとも単に男勝りなのか・・・
後半でキリスト教の秘密がだんだん明らかになるわけですが、いくらエンターテインメントとは言え、まあ、これだけの創作をよくやってしまったものですね。場合によっては、キリスト教徒を敵に回しかねないけど、純粋な知的好奇心を満足させるには十分に練られていて(作者のユダヤ、キリスト関連の知識には非常に驚きます)、今の時代ならそれなりに許されてしまうものなのかもしれません。
聖書やキリスト教、死海文書、といったキーワードに反応するようならこの本はお奨め。単なるミステリーと勘違いして読むとかなりきついかも。
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July 17, 2005
1967年にこの小説「百年の孤独」は、コロンビアの作家、ガルシア・マルケスによって発表されました。この本は、当時スペイン語圏で大ベストセラーとなったようです。1982年、ガルシア・マルケスはノーベル文学賞を受賞します。
多くの人に絶賛される名作ということで読み始めましたが、正直言ってちょっとしんどかった。いや、つまらない、ということではないのです。むしろ、十分面白い本だと思いました。ただ、かなり分量があるし、翻訳文体もちょっときついし、同じような人物名が多くて理解するのが大変。
また、この小説の独特の語り口や、話の進め方が、とても面白いのだけど、一般的な小説とちょっと肌触りが違うのです。一言で言えば、叙事詩的です。ひたすら、出来事中心で述べられていきます。事件の細かい描写とかがほとんどない。ぽんぽんと時系列に出来事が羅列されます。結局、この小説はマコンドという街の百年間の出来事をひたすら記した小説というコンセプトなのですが、風景描写や心理描写が普通の小説と比べるとかなり少ないのです。
しかし、だからこそ、この小説の面白さが成り立っていると言えるのでしょう。
百年もの長い間の出来事がひたすら書かれることによって、時はすすんでも人々の営みは延々と繰り返されるのだという当然の事実を私たちに想い起こさせます。別に心理を描かなくても人物は描けます。誰がどんな事件を引き起こして、どのように行動したのか、それをひたすら書き綴るだけで人物像は浮き上がります。貪欲な冒険心を持つ人、男を狂わすほどの色香を漂わせる女、人の世話を見続けることで満足する人、放蕩に明け暮れひたすら浪費してしまう者、どこまでも保守的で厳格な規律を尊ぶ者、そして革命に身を捧げる男・・・こういった様々な登場人物が現われ、ブエンディア一家の盛衰が語られていくのです。
もう一つの傾向は、非現実と現実が、全く何の断わりもなく無造作に並置させられている、という点があります。これはマジックリアリズムと呼ばれますが、こういった幻想性が、現代を舞台にしてもなお、神話的なイメージを残します。
何しろ、長大なこの叙事詩は、もう力技で読者を幻想の世界に引き入れます。その世界での不思議な出来事の数々はしかし、私たちの日常とまた、それほど変わらないものでもあるのが、この壮大な話の魅力なのだと思います。
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June 28, 2005
実は私、この作家自身に興味があるんです。
東大出て、松下電器で技術者になり、ソフトウェア開発のプロとして書籍も出すほどの活躍をしていたのに、文学賞を取って、あっさり作家に転向。寡作ながら質の高い作品を書き、直木賞候補にもなりました。
私もソフト開発の一端を担うものですが、私から見ても「オブジェクト指向プログラミング」の本を書く人なんて神様みたいなものですよ。いまどきなら、それだけの活躍だけでも相当稼げるはず。
しかし、です。そんな人が小説を書いて、それがいきなり文学賞を取っちゃう。なんというか、何でもこなしちゃうスゴイ人のように思えてしまうんです。本を読んでいても、本当にそつがなく、文章も確か。どこで作家修行をしたのかと問いただしたくなります。でも、恐らく小さな労力で、これだけの能力を手にしてしまったような気がしてなりません。もしこの人が、何らかの音楽的手ほどきを受けていれば、きっと作曲賞だって取れちゃうじゃないだろうかと思います。だいたい、デビュー作の「オルガニスト」では、バッハやオルガンに関する薀蓄がふんだんに語られますし。
本人はきっとそうは思わないだろうけど、この人は天才の部類に入る人なのだと私は感じます。
だから、ストーリーそのものの興味より、この作家、山之口洋氏のつむぐ文章、世界観、小説作法に興味を感じて読み始めたのがこの本。すごい、やな読者ですね・・・
というわけで、そんな山之口氏が書いたこの小説、面白くないわけがありません。
中篇だけど、落としどころがうまい。題材のネタにも本当に隙がない。いや、逆に言うと、この隙のなさが、この作家を大衆的にしない一因なんだなとも思ったり。技術的にむちゃくちゃな設定は、技術者としてやはり絶対書けないのだと推察します。だからこそ、理を通そうとして、技術設定には饒舌になってしまう。
ああ、それがまた、私の羨望を掻き立てます。創作家の才能の秘密を知りたい私は、そうやってどうでもいいことに日夜頭を悩ませているのです。
うーん、全然本の紹介してない・・・
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May 26, 2005
また妙な本を読んでしまいました。シュールなファンタジー小説です。主人公が夢遊病の彼女タニアを追って、ダブエストンという不思議な土地に辿り着き、そこで様々な奇怪な経験をしていくというお話。この変てこさは、どこかで体験したような・・・と思ったら、佐藤哲也の「熱帯」という本を思い出しました。そういえば、同じく半魚人も出てくるし。
あり得ない設定で、あり得ない人々を描くこういうファンタジーは、しかし実は著者の物語へのバランス感覚や、細かい博学さなどが思いっきり浮き彫りにされます。確かに、この人、博学っぽいし、物語を読ませるための微妙な切なさというのを良く知っていると感じました。結局、ファンタジーってただの何でもありな妄想じゃ全然ダメなんですよね。ある意味、全人格的な表現であるのです。
タニアの足跡は、手紙という形で随所に現れます。手紙って、なんか切なくていいですねえ。今や、メールを送ればすぐに届くという時代、そしてインターネットで調べれば何でも分かる時代。あるものを探してさまよい歩く、それ自体が目的だなどという感覚は考えられない世の中。だからこそ、手紙で伝わる想いというのがアナクロながらも、印象深いイメージを与えるのでしょう。
実は小説中、ちょっと気になったことが・・・。主人公が「私」という一人称小説だったのに、ある部分、「ケン」と三人称になるときがあります。作者は意識的にやっているんでしょうか。いや、まあどうでもいいことですが。
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May 04, 2005
すっかり読書感想文ブログと化しています。^^;
今日の本は、今流行り(?)の恩田陸。基本的に私が好んで読むようなタイプではないわけですが、何となく気になって読んでみました。しかも、この小説、結構実験的な作りになっているんです。そういう意味では楽しめたし、この作家の底力を感じることができました。
内容は、とある地方都市で起きた17人が死亡した毒殺事件の真相が、章毎に関係者のモノローグで段々明らかになっていくという流れになっています。章毎に語る人物が違い、それぞれが扱う時間も違います。読者は、時系列に事実を感じていくのではなく、一つの事件の像が、章毎に少しずつクリアになっていくという体験をしていきます。しかし、それは決して難しい作業ではありません。良く考えてみれば、第三者がある事件を調べる作業というのは、ほとんどこういうパターンになるわけで、そういう意味ではこの小説の構造は非常に面白い試みと言えるでしょう。読者自身が、謎解きをしていく主体になった気分を味わうからです。
ただまあ、私としては、この作家が基本的に持っているファンシー的雰囲気が、ちょっと気恥ずかしかったです。ありていに言えば少女趣味的な感じ。あらすじから感じる事件の異常さ、陰惨さは、少女趣味に覆われ、おとぎの国の出来事のようにさえ感じます。少女趣味の手にかかれば壮年でやり手の刑事さえ、折り紙の名手となってしまうのですから・・・。
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April 27, 2005
この本、以前、篠田節子の本をまとめ買いして、読まずに積まれていたもの。ふいに読み始めたら止まらなくなって、結局一気読みしてしまいました。マジ、恐いです。恐くて恐くて、でも先を読まずにいられない。気が付くと全部読んでしまい、その後も恐さが後を引くというたちの悪い小説。
内容は、人気バイオレンス作家と、女性イラストレータのコンビが、明治時代の画家、河野珠江の壮絶な絵画の謎を追っていくうちに、時空を超えた恐怖体験を味わうというもの。スケベ男とカタブツ女の凸凹コンビは、2時間ドラマ的な俗っぽいキャラ設定。こういうあたりはエンタメ小説の王道なのだけど、しかしこの作品の恐怖感はありきたりのものではありません。しかも、結末も結構救いがない。「リング」なんかもそうだけど、これも単純なハッピーエンドで終わらないタイプのホラー。思わず、小説の後の出来事を想像しちゃって、それがまた尾を引きます。
おかげで、夕べはなんだか目が冴えちゃって、あんまり眠れなかったのです・・・
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April 25, 2005
自分では安部公房という作家を結構好きなつもりだったのだけど、ここのところ「箱男」「密会」と二冊読んで、あらためてその前衛的な作風に触れると、好きだなんて軽はずみに言えないような気がしています。
何というか・・・、読むのにとても頭を使わせるのです。毎日少しずつ読んでいると、ちっとも頭に入ってきません。集中して一気に読む必要があるのです。
さて、この「密会」、どんな話かというと、大まかに言えば、ある男の妻が突然、救急車に連れて行かれ、男は妻の行方を捜すために、病院の大迷宮の中をさまよっていく・・・といったところ。しかし、二本のペニスを持つ馬人間、この男に好意を持つ女秘書、自慰行為を続ける溶骨症の少女、といった変態的なキャラがこの男を翻弄していきます。
ある意味、ハチャメチャなのだけど、シュールというのとはちょっと違う。バカバカしくなりそうな設定なのに、どこまでもシリアス。それに、小説の時間構造が操作されているため、読者は何度かわけがわからなくなります。それらも計算ずくのようで、そうでもないような気もするのです。
それにしても、この小説の中の病院は、忘れがたいほど幻想的なイメージを読後に残します。本当に夢の中の情景のよう。それを楽しむだけでも、この本を読む意味はあるかも。
最後の場面で、自分の妻と思しき女が、大衆の面前でオルガスムコンクールなんてのに参加している、なんてシチュエーションはまるでアダルトビデオのようだけど、こういったストーリーを平気で紡いでいく安部公房という作家、やはり私にはとても不可解なのです・・・
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April 16, 2005
新聞小説なんてこれまで読み続けた試しはなかったのだけど、今回、朝日新聞の新聞小説「讃歌」ついに読みきりました。本日の掲載が最終回。毎日読み続けていると、時間がなくてもここだけは読みたいという、そういう気持ちを経験することが出来ました。
それで、この小説、どんな話かというと、人の心を揺さぶるヴィオラ演奏家、柳原園子のドキュメンタリーテレビ番組を作る小野が主人公で、番組の放映から柳原園子がブレークし、クラシック界での異例のヒットとなる一方、園子に対して賞賛と批判が渦巻いていく、といった感じ。そして、ついに最後には園子が自殺して話は終わります。
最初の頃は、音楽の素晴らしさの描写がなんか陳腐な感じがしていたのだけど、それはどうも作為的だった感じがしてきます。つまり園子の音楽は、表情過多な日本的で演歌的な演奏なのだけど、クラシック界の正統的な批評家からは、彼女の音楽が演奏の基本も出来ていないような質の低いものと捉えられるわけです。
そこに、視聴率を稼ぎたいテレビ製作会社、CDを売りたい音楽事務所などの思惑が絡みます。小野はクラシックには縁がない素人という設定。だから、その小野が最初の段階で園子の演奏に心奪われるというのが、ある意味この小説の象徴的なエピソードになるのです。
いい音楽とは何か?こういった疑問を投げかけてくるなかなか味わいのある小説でした。作家の篠田さん自身も確か、弦楽器を練習されているとか。そうやって音楽のプロの世界を深く知れば知るほど、一般大衆との音楽の認知の乖離が生じてくる、その不条理がこの小説でよく表現されていると思いました。
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March 06, 2005
評判の話題作、読んでみました。確かに、これは面白い!シュールだけどリアル。この作家は、どの辺りをシュールにして、そしてどのあたりをリアルにするか、そのさじ加減の按配さで、批評性が高く、かつ抽象度の高い物語構築をしていくのが実にうまいです。
例えば、シュールさというのは物語の基本設定である戦争が、町という自治体組織の重要な事業の一つになっていること(小説中、「戦争事業」と表現される)。さながら、地方活性化のために公共事業を推進する行動原理のよう。そして、戦争でありながら、具体的な戦争描写(戦闘の様子、人が死ぬ様子)が一切ないこと。ただし、戦争描写が一切ないことによって、逆説的に身近な人が戦死していく事実だけが心に重く響きます。
リアルさというのは役所仕事の杓子定規さ、特にこの点、作者がどこまでも丹念に描きたかったことの一つでしょう。その証拠に任命書やら申請書やら記録書といった役所書類の数々が小説の中に度々挿入されています。この辺り、安部公房みたい。戦争であっても議会の手続きやら何やらの承認が逐一必要だったり、偵察業務に性欲処理の業務などがあるのもかなりのブラックさ。
もっとも作者の描く世界は、シニカルな現状批判にそれほど近づかず、後半に行くにつれ、もっとリリカルで淡い哀しさを表現しようとします。最後のオチで、初めて戦争のリアルさを主人公が感じるあたり秀逸。ちょっと泣けます。アイデア勝利ではあるけれど、そのアイデアを実現する手腕にも驚かされた小説でした。
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January 16, 2005
すでに気付かれていることと思いますが、ここのところファンタジーノベル大賞受賞作品を立て続けに読んでます。想像をはるかに超えた様々な異世界を味わいたいと思うなら、この賞を取った作品を読むのが良いでしょう。毎年毎年、いろんなタイプの異世界を持つ作品が続々と生まれてくるからです。そして、本作品、出版されたばかりの昨年の受賞作。
これはすごい!江戸川乱歩のような怪奇幻想世界と、カフカのような不条理世界、そして社会に馴染めず不当な扱いを受ける「僕」の生き様の描写の執拗さは生半可ではありません。ストーリーに一つの大きなテーマがあるわけではなく、「僕」の流浪の生活が各章毎に違う状況で語られます。このあたりの流れをどう読者が感じるかは分かれると思います。情けない主人公の鬱々とした様を延々と読まされるのを嫌う人もいるでしょう。しかし、本来、作者が書きたかったのは、自分なりに正義感と現実のバランスを保ちながら生きているのに、それでも報われない自分、といったそんなリアルな社会的現実ではないかとも思えます。ここで、「僕」を貶める人物は、いずれもこういった内向人間の天敵のような存在です。その描写は実にリアルです。この細やかさは作者の人生観なしに語れないのではとも思います。
もう一つ、この小説に特徴なのは、この薄気味悪い世界に漂うエログロ感。スカトロっぽかったり、SMぽかったり、人形愛みたいなのがあったり。まあ、私は嫌いじゃないですよ。主人公の姉や、由紀子の言動のなかに潜むエロティシズムにも味わいがあります。第四章にある三人暮らしにも微妙な羨望を感じたりして。
ネットでこの小説の記事を見ていたら、とあるところに受賞時から最終章をほとんど差し替えたという記事を発見。思わず、なるほど。感動のラストがありちょっと泣けるのだけど、出版に際し、そんなふうに読みやすく変えていたんですね。
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January 15, 2005
自分では好きな作家だと思いながら意外と読んでないのがこの安部公房。何といっても「砂の女」の面白さが圧巻なわけですが、じゃ他の本はどんな内容だったかというとなかなか思い出せなかったりします。
そんなわけで、久しぶりに安部公房の長編を読みました。小説自体が書かれたのは昭和33年という、はるか昔のこと。この小説、いわばSF小説なのですが、たしかに昔に書かれただけのことはあってSF的要素は古色蒼然という感もあるのだけれど、小説自体が訴えたいことは時代を超えても全く色褪せていないのです。「砂の女」もそうなのですが、あり得ない状況、信じられないような状況をSF的設定で作って、その中で、一体自分とは何者なのか、ということを主人公を通して語るというのが、安部公房の基本的なスタンスのように見えます。
この小説の場合、主人公は「予言機械」の設計者という設定。ある殺人事件などに巻き込まれていくうちに、一緒に開発している部下の言動に疑いを持ち始めます。話の途中までは、そういった謎がどんどん膨れ上がっていきます。しかし、広がり始めた話はむしろ主人公自身の話に収斂するようにどんどん狭まっていき、ついに自分自身を陥れていた張本人として、予言機械内に生成された主人公の第二次予言値(主人公の別人格のようなもの)が現れるにいたって、加速度的に謎が解かれます。そして、全てを知った主人公が殺される寸前で話は突然終わるのです。
安部公房にとってのSFとは単に未来を描きたいというより、主人公をシュールな状況に追い詰めるための道具なのだと思えます。そして、その中で、世界の中でまるで自分ひとりが孤立しているような不安、を執拗に表現しているように感じます。
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January 06, 2005
かなり渋い小説なんだけど、よくよく考えてみると、金と酒と女まみれの堕落した男の話。それでも、格調高い文体や文章の端々に現れる博学な引用に、ただただ眩暈を感じてしまいます。1930年代のヨーロッパを舞台にした話で、いろいろな街の雰囲気や、退廃的な風情がとてもよく伝わってきます。そういった、文章の巧さ、比喩や表現の巧さだけで読めてしまう、そういった感じの小説なのです。
第3回ファンタジーノベル大賞受賞作品。もちろん、ファンタジー要素はあります。主人公は一つの肉体に二人の精神が宿ってしまっているという設定。それでも、これがSF的、ホラー的にならないのは、超常現象であるにも関わらず、主人公や登場人物がいとも簡単にこの状況を受け入れてしまうという作品設定の妙があるわけです。だから、ファンタジーというよりも、単なる退廃的なある男の冒険談として読めてしまう。
こういったデカダン的な身の崩し方に憧れる人もいると思います。そんな方にはお奨めです。
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December 18, 2004

遺伝子関係の科学読本。
人の持つ23本の染色体が、それぞれの章になっていて、その染色体内にある遺伝子をネタにいろいろな話題を提供するという体裁がなかなかセンスが良いのです。
とはいえ、なかなかヘビーな一冊です。いろいろな面白いことが書いてあるにもかかわらず、夥しい専門用語の数で(ちゃんと説明されてはいますが)正直言ってなかなか頭に残らないのが悲しいところ。
しかし、これを読んで思ったのは、遺伝子の仕組みがまるでデジタル信号を扱うコンピュータのようなものだということ。何億年もかけて生命は自然とこのような仕組みを作り出したというのはまさに脅威。とはいえ、今では用をなさなくなったジャンクDNAであるとか、複製の際のコピーミスであるとか、実際の遺伝子の動作は完璧というわけではなく、これが病気や老化や、あるいは進化の原因であるわけで、この辺りを理解しようとすると相当ヘビーな内容になってきます。
「利己的な遺伝子」でもあるように、全てのコピーの最小要素は遺伝子であり、遺伝子一つ一つが利己的に振舞う、と言う考え方は、具体的な例でいろいろ示されます。ジャンクDNAである用をなさない遺伝子が人の遺伝子に寄生していたり、父譲りの遺伝子と母譲りの遺伝子間で闘争があったり、一つの個体の中でさえ、各遺伝子同士が自分を残そうと躍起になっているのです。
この他、遺伝子と知能の問題、個人の識別の問題、遺伝病の話、遺伝子操作にまつわる倫理的な話、と様々な話で構成されています。
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December 07, 2004
第十五回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した森見登美彦の「太陽の塔」を読みました。
いやー笑った、笑った。面白かったです。
言ってしまえば、もてない男たちが、世の恋愛至上主義を嘆きながらも、やはり心の底ではささやかな幸せを求めて止まない心情みたいなものが垣間見える、とっても恥ずかしい大学生のお話。そう、青春というのはとめどもなく恥ずかしいものなのだと思うのです。誰にもいえない恥ずかしい体験を、赤裸々に書くこと、ただし直球でなくて、相当な変化球で、これがこの小説の目論見でしょう。
だから、とても共感できてしまう。全てがあまりに恥ずかしいからです。もちろん、笑いを追及するあまりあり得ないような話も出てきますが、そこに横たわる恥ずかしい感情は、誰にでも経験のあるものです。
そういったわけで、この小説、エンターテインメントというよりは、むしろ純文学に属する小説だと私には思えます。この小説にはストーリーなどほとんどなく、ストーリーに無関係な妄想がむくむくと行数を侵食しているからです。
それでもラストシーンはバカバカしくも幻想的で、情景が思い浮かぶような、不思議な面白さを感じました。泣きながら笑いながら、この部分読みました。このあたり、実は結構技巧的に書かれてもいるとも思えました。
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September 25, 2004
最近、本を読んで泣いたことがありますか。
たまには、泣けるような本を読んでみたいと思いませんか。
ということで、本を読んで泣きたいのなら、お勧めはコレ。泣けます。マジに泣けます。オビに書いてあることもあながち嘘じゃありません。泣いているのを見られたくないなら、人のいない場所で読みましょう。
この小説、実は第一回「このミステリーがすごい!」大賞の受賞作品。つまり、この作家、全くの新人作家です。「このミステリーがすごい!」というからには、推理小説なのかと思いきや、実は全くそういう傾向の作品ではなくて、本来ならこの作品、例えば「ファンタジーノベル大賞」を目指すべき作品のような感じなのです。
科学的薀蓄が充分述べられ、ある種の超常現象を扱っているこの小説は、最近のホラー、ファンタジーの系譜とほとんど同じライン上にあるものです。
しかし、それでもこの作品の本質は、恐らく「死」に対する根源的な疑問に対して真摯に挑戦したことであり、それを題材にして、それに悩む登場人物たちが生き生きと描かれている点にあると思います。
特に後半三分の一くらいは本当に泣きっぱなし。この間の、登場人物の健気さ、そしてそれを的確に表現する描写力は、手放しで素晴らしいと感じました。
もし、こんなことが本当に起こりえるのなら、まさに奇蹟としか言いようがない。もはや、これは宗教的世界に属する話になってしまいます。恐らく、この小説の魅力は、全く普通の人々が普通の考えを持って生きている、非常に身近なシチュエーションであるにも拘らず、そこで展開される物語が宗教的体験とでもいえるような厳かで壮大で、まさに「神の御業」としか言いようのない出来事であるというその落差から来ているのではないか、と思えるのです。
中にはキリスト教的モチーフもいくらか現れ、作者自身も宗教的な意味合いをかなり意識しているように思われます。もちろん、特定の宗教の教義に根ざしているという意味でなく、宗教の本質について考えさせるようになっているのです。
もう一つの魅力は、この作品がクラシック音楽を扱っているという点。
主人公である如月は、小さい頃からピアニストになるべく徹底的に英才教育を施されたという設定。しかし、彼は留学先のウィーンで暴漢に遭遇し、左手の薬指を拳銃で撃たれるというアクシデントに見舞われ、ピアニストの夢を絶たれるわけです。
物語り全体は、主人公はある宗教的体験の一番身近にいる目撃者という立場なのですが、そのような主人公の生い立ちが、随所でストーリーと音楽の絡みに繋がります。
音楽、宗教、脳科学、終末医療、こういった著者の造詣の深さ、及び考えがうまく絡み合っているのもさすが。最近の作家は専門知識を使いこなすのが実にうまい。もちろん、作家自身がそういった分野のプロフェッショナルであるはずがないけれど、専門家の言葉にリアリティを与える文章を書けるというのは並大抵の想像力ではダメだろうな、と感じました。
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