December 10, 2009

IT社会の行く末─ミスが簡単に広まる

IT社会の特徴について、しつこく思うところを書いています。
最近の報道で、政府が発表したGDPの数値に間違いがあった、というニュースがありました。原因は担当者の数値入力ミスだそうです。
これを聞いて、皆さんは担当者を責めますか? もし現場で起きていることが単なる担当者への注意なら、同じ過ちは何度でも繰り返されるでしょう。この対策で必要なことはチェック体制を作るということです。

上記は政府の発表なので、ニュースになりますが、最近は雑誌やちょっとした印刷物でも、誤変換・誤植などのミスが多いように思います。ネット上の文書など何をか言わんやです。
その昔、印刷物の原稿が手書きで書かれ、誰かが活字を拾い、印刷所で物理的にレイアウトされていた頃、時間も手間もかかっていたのと引き替えに、多くの人の目に触れ、おおやけになる前に間違いが直される機会がありました。
ところが、IT化で人を介することが大幅に減っていきました。何のチェック機構も設けないと、最初に作った人の間違いがそのままパブリックに流れるという事態が簡単に起きるようになります。

せっかくIT化でコストが下がったのだから、わざわざチェック機構なんか作りたくないというのが人情。でも、人間だから間違いは誰だって犯します。まだ、そこに多くの人が思い至っていません。

私のようにプログラムを書く人は切実な問題です。
さすがにプログラムにおいては、間違いをチェックしなければならない、という考えは当たり前になりました。しかし、家庭用の電子機器ならまだしも、自動車や飛行機、電車などのインフラも今では多くのプログラムで動いています。そういえばたった一行のプログラムの不具合で東京の地下鉄が数時間完全ストップした、ということもありましたっけ。
プログラムのバグで人が死ぬことだってあり得ます。書いた本人にそんな意志はさらさら無くても、結果の大きさに、不具合を出した当人はいたたまれない気分になることでしょう。

IT化で便利になった分、人の能力が丸裸になると同時に、人のミスも丸裸にされます。
そういうことが「あってはならない」のだと思うのなら、万全のチェック体制を作らなければなりませんが、この不景気のご時世、簡単にチェックのためにコストは割けないでしょう。私は、不景気になればなるほど、こういったミスが増えるような気がしています。

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December 07, 2009

IT社会の行く末─丸裸にされる能力

ツールが充実して、いろいろなことが出来るようになった時、それを使いこなせる人と使いこなせない人が生まれます。
前回書いたように、ツールそのものの使い方が難しいとか、それを使いこなすのに必要な知識が要るとか、そういう側面ももちろんあるでしょう。

しかし、もう少し別の面もあるような気がします。
例えば私がPhotoshopで画像の編集をするとします。頑張って、いろいろな機能の使い方を覚えたとしましょう。しかし、それは必ずしも私がPhotoshopで作った画像が良いものであることを保証しません。残念ながら絵心の無い私には、いいツールがあっても良い絵を作れそうもありません。
結局良い絵を描くには、どうしても個人の資質が必要です。才能のある人が良いツールを使って益々良い作品を作れるようになる一方、そうでない人にはそのツールも宝の持ち腐れです。

音楽で言えば、数十年前にはウン百万もしたようなスタジオの機材と同等の機能が、今ではたった一台のパソコンで実現可能です。
もし、作曲やアレンジが出来て、楽器も演奏できて、エフェクトやミキサーも使いこなせて、マスタリングの知識も持っていれば、CD並みのレベルの音楽を作ることは可能です。
使い手に能力さえあれば、ほんのちょっと投資をするだけでプロ並みの音楽を作ることが出来るのです。そして出来ることが多くなればなるほど、それを作り出す人のセンスや能力が益々クローズアップされます。

経理をやるにも、ちょっとエクセルで数式を書いたりVBを書ければ、そういった事務作業もずいぶん楽になると思います。残念ながら、一般の方がプログラムを書くというのはまだまだ敷居が高いですが、遠くない将来、プログラムを書ける人と書けない人で、事務作業の能率の差が桁が違うくらいになって現れることでしょう。
たかだか、会議のプレゼンテーションの資料を作るにも、絵や視覚効果、全体構成のうまさ、文字や配置などのデザイン等々、うまく作る人とダサいものしか出来ない人の差は今でもはっきりわかってしまいます。

IT化に伴って、ツールが充実すればするほど、個人の資質や能力が丸裸にされる厳しい社会になっていくような気がします。社会で求められる人材も、少しずつ変わっていくかもしれません。

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December 05, 2009

IT社会の行く末─本当に便利になった?

パソコン、ネットの普及で、数十年前には考えられなかったことが誰でも出来るようになりました。
ところがこういった言い方は現実を良いように解釈した場合のこと。実際の現場で起きていることを考えると、便利になったと簡単に言うのは憚れるような気がしています。

例えば、マイクロソフトのワード。ワープロとしての機能盛りだくさんで、ちょっとした印刷物の版下に十分耐えうる品質のものを作り出すことが出来ます。
しかし、ワードについては多くの人が使いづらいと感じていないでしょうか。出来るはずの機能もどこを触ったらよいかなかなか分からないし、標準で余計なお世話な機能が勝手に動いてくれて、それを外すことすらままなりません。
ワードを使いこなせれば、本当に便利です。定型的な設定を全てスタイルに登録すれば、文章を書くことに集中することが出来ます。しかし、それは機能を全て使いこなせた場合のこと。
現実に起きていることはその逆で、思考が邪魔されるような余計な動作が多すぎるのに、それを理解する手間がかかりすぎるのです。

これは使いこなせない私の問題であるのかもしれません。
しかし、ワードの使い勝手が悪いからかもしれません。そもそも、いろいろな使われ方をするのに、それを一律一つのソフトで解決しようとするのがいけないのかもしれません。
パソコン化、IT化には、常に「使い方を覚える」という作業が付きまといます。それもバージョンが変わると、使い勝手が変わったりします。そうやって私たちは年がら年中、使い方を覚える日々を暮らさねばなりません。

家電も同じ。多機能になったおかげで、使いこなすのにとても苦労します。たかだか、時計を買っても、ラジカセを買っても、思うように動かせないのはかなり腹立たしい。
それは決して、私たちだけの問題ではなく、すぐに使うことができないような操作仕様になっているメーカーの責任でもあると思います。(結局自分の身に降りかかる)

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December 01, 2009

ヘヴン/川上未映子

Heaven広告とか見て気になっていて、ついつい本屋で見つけたときに買ってしまいました。
帯に書いてある文句とか、雰囲気から察していた内容と、正直かなり違っていて、とんでもない本を読んでしまった、というのが率直な感想。
同じクラスでイジメられている主人公とコジマという二人が手紙で交流を始め、その仲が発展してゆき・・・というところまで読んでいると、ほんわりした感じで二人の交流が進んで、心が通い合った二人に悲劇的な結末が・・・みたいな感じで話が進むと思われたのです。

しかしその想像は二重にも三重にも裏切られます。
そもそも、コジマはコジマでとても狂信的な思想で満ちていて、それを「僕」にも求めるのです。それがかなわないとき、コジマは「僕」を見限ってしまいます。彼女が目指しているのは、(イジメに耐えることを人生の目的とする)とてつもなく求道的な生き方でした。
それから「僕」はなんと、いじめっ子の一人百瀬と対峙し、自分への仕打ちを糾弾します。しかし、百瀬は実に饒舌に、そしてロジカルにイジメ側の論理を語るのです。「この世に意味なんてない」とか「みんなは決定的に違う世界に生きている」とか、恐ろしくシニカルで厭世的な哲学。
中学生とは思えないような、思想的、哲学的な会話。しかしそれでいて、リアルで凄惨なイジメの現場。直視できない痛ましさ。こういう事柄を平然と並べ、そしてストーリはエンタメ的な大団円を決して迎えません。

しかし、ラスト数行は感動的な言葉で締めくくられます。密度の濃い、畳み掛けるような文体は、読者に対して暴力的な感動を強要するのです。
痛々しくて、怖くて、忘れがたい印象を刻み付ける小説です。そういうのが嫌な人は読まないほうが良いかもしれません。

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November 28, 2009

IT社会の行く末─タダが普通になる

ITを論ずるときに、技術的なことだけ考えていると片手落ちになるような気がするのです。
ネットが我々にもたらしたことは、技術革新だけでなく、社会の有り様の再定義ではないかと思うからです。
文字も音楽も絵も動画も全てデジタル化可能です。それらは全て、ネットによってほとんど流通コストをかけずに世界中に配信できるようになってしまいました。後は、通信スピードの向上と、どこでも情報をキャッチして楽しめるようなインフラ及び端末の高性能化がさらに進むだけです。

今はまだデジタルコンテンツを売って商売している人たちがいるために、DRM(デジタルの著作権管理技術)のような仕組みが期待されていますが、どうやったって、そういう技術はいつかは破られます。それより、自分の出すコンテンツはタダでいい、とやり始めた人が出てくれば、価格崩壊が起き、いずれなし崩し的にタダで供給する人が増えていくと思います。
結局、享受する側は、タダなのが普通、という感覚になっていく・・・というのが私の想像です。

つい数年前までは、本はなかなかデジタルで置き換わるのに時間がかかるだろうと思っていました。ところがAmazonのKindleが売れているようで、物理メディアの低コストが確立している出版でさえ、遠くない将来デジタル化される気がしてきました。

経済的に何が起きるか、私が想像するにはあまりに門外漢なのですが、文化的に想像できるのは以下のようなことです。
・公的になる境目が無くなったために、アマチュアとプロの境目が不明瞭になる。
・売り上げで作品の価値が決まるのでなく、レコメンドの集積したものが作品の価値になっていく。
結果的に、現在よりも作品の価値が正当に評価されることになるのでは、と私は思います。もちろん、正当に評価されてもお金は入らないわけですが。

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